中国では「奴婢」は奴隷の通称で、奴は男奴隷、婢は女奴隷をさすというのは前述の通りであるが、奴にはさらに僮・僕・隷の文字と合わせて、「僮奴」「僮僕」「奴僕」「奴僕」「僮隷」などと言った。奴隷もこういった表現の一つである。女奴隷は婢以外には「女奴」とも言った。私家の所有する奴隷を表す時は、「家僮(家童)」「家奴」「家婢」と言った。 また『漢書』では奴隷のことを「蒼頭奴」「蒼頭奴婢」と言い、「蒼頭」は元は兵士の意味だが、単にこれだけでも奴隷を意味するようになった。唐の時代には同様に「青衣」とも言い「臧獲」という異称もあった。金・元の時代には、驅(駈)という字が使われ「驅丁」「驅口」などと言った。 中国の奴婢制度は、律令制によって正式に国家の制度に取り込まれるが、それ以前の殷,周には多数の奴婢が社会に存在し、労働力の中核を成していた。春秋時代、戦国時代と時代を経ると国の併呑によって戦争が大規模化し