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荒木経惟とartに関するdonotthinkfeelのブックマーク (2)

  • #MeTooとアラーキー告発に見る、作品至上主義のおわりのはじまり | / ARTLOGUE

    #MeToo 運動や元写真モデルによるアラーキー告発を見て感じるのは、作品と人権という2つのバリューの天秤の高さの今日的な変化です。MeToo運動は、TwitterやInstagramを通して拡大していったように、映画会社、プロデューサー、ディレクターが大きな影響をおよぼしていたマスメディアに代わって、SNSという個人発信の手段が可能にした運動でした。 「わたしたちは道具ではない」という映画作品や写真アートのキャストやモデルたちの主張は、それまでの創作側の作品至上主義、そしてアンタッチャブルな神聖と見なされてきた芸術作品に対する、「犯される側」からの「犯すべからざる領域」への反乱であるようにも見えます。 純文学とモデルの人権 アラーキー告発に関する記事の中に、島崎藤村(1872〜1943)の小説『新生』に登場するモデルに触れたものがありました。日の純文学の歴史を振り返ると、藤村に限らず、

    #MeTooとアラーキー告発に見る、作品至上主義のおわりのはじまり | / ARTLOGUE
  • 芸術の「共犯」によって失った誇りを、彼女はいかに取り戻したか | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

    長年にわたりアラーキーこと写真家の荒木経惟のモデルを務めていたダンサーのKaoRiさんが、荒木氏との関係について綴ったブログの記事は、今月初め多くの反響を巻き起こした。 同意書や契約書のないまま日常のあらゆる瞬間を撮影されてきた彼女は、当初は荒木氏の「私写真」に貢献しているつもりでいたという。だが、拘束時間の増加にも関わらず、写真集やDVDが出版されても撮影時のわずかな報酬のみで、無報酬でのパフォーマンスや、勝手に部外者を入れてのヌード撮影といった理不尽な状況が日常茶飯事となっていった。 改善を求めるKaoRiさんの訴えに、荒木氏は耳を貸すことなくパワハラ的言動を繰返し、彼女は強いストレスから心身の不調に至ったことを告白している。 自分より上位に位置する男性アーティストに見出され、「ミューズ」と賞賛された女性が、尊敬する芸術家の役に立てればとの思いから、知らず知らず不当な関係性を受け入れて

    芸術の「共犯」によって失った誇りを、彼女はいかに取り戻したか | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
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