タグ

ブックマーク / murrari.hatenablog.com (53)

  • Lest we forget - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    「寫眞週報」昭和13年(1938年)3月10日号 2-3p 内閣情報部 The single largest public relations campaign of the war centered on Army Day (10 March) in 1943, which was observed throughout the Japanese Empire with several events and the slogan, uchiteshi yamamu. Literally translated, the slogan means "Continue to Shoot, Do not Desist," but a more colloquial translation would be "Keep up the Fight" or "Stay on the Offensive

    Lest we forget - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • ****のアート - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    「****のアート」展 このたび、(中略)グループ展に参加することになりました。 (中略)お近くにお越しの際は、駅から近いです。宜しくお願いします。 (注)「****」は伏字表現 30年超の「友人」である「現代美術」系の「彫刻家」から、展覧会案内がメールで入って来た。自分の知らないギャラリーの名前だった。これまでの自分の人生で余り縁の無かった町の、この駅に降りた事も未だ嘗て無い。首都圏の白地図を示されて、そこが何処にあるかを示せと問われれば、自分にはそれを100%間違えられる自信がある。案内に記された他の26人の「作家」の名前にも心当たるものが無い。これらの人達は「彫刻家」の勤務する美術大学での「教え子」なのだろうか。 仕事を終えてカーナビに住所を入れる。**県**市**…。目的地まで1時間と計算されたものの、カーナビが推奨して来た有料道路を使わない事と、不案内な町であるという事を考え合わ

    ****のアート - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • ヨコハマトリエンナーレ2014 華氏451の芸術 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    He saw a family consisting of the father, and mother with 2 boys and a baby. Keith saw father take the baby and throw it from the cliff into the water far below, and then he pushed the other children off the cliff. After that he pushed his wife and then jumpded himself. Keith and his men got there and saw guy still floating alive, so they shot him. (断崖の上で)彼は父親と二人の男の子の手を引き赤ん坊を抱いた母親の一家を見た。その父親が赤ん坊を取

    ヨコハマトリエンナーレ2014 華氏451の芸術 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • ことづけが見えない - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    ギャラリーハシモトの「ことづけが見えない」展は「二人の展覧会」だった。それは直ちに「二人展」を意味するものではないが、しかし両者は何処かで繋がるかもしれない。 「二人の展覧会」をまず最初に印象付けられたのは百瀬文氏の作品からだった。展の新作「The Examination」の画面に登場するのは「二人」。「医者」と「患者」である。眼科医院の一室で、「ニデック社システムチャートSC-2000」の液晶画面に映し出された「ランドルト環」を使っての視力検査を、「医者」が「患者」に対して行っている(=「患者」が「医者」から行われている)。従ってこの「二人」は「験す者(検査者)」と「験される者(被検者)」という不均衡な関係にある。そこでは「験す者」は常に「験す者」であらねばならず、間違っても「試される者」になってはならない。 視力検査には視標と呼ばれる目印を用いる。被検者は視力測定法ごとに定められた一

    ことづけが見えない - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • これからの写真 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【枕】 應長のころ、伊勢の國より、女の鬼になりたるを率て上りたりといふ事ありて、その頃二十日ばかり、日ごとに京白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。「昨日は西園寺に參りたりし、今日は院へまゐるべし。たゞ今はそこ〳〵に。」など云ひあへり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言といふ人もなし。上下たゞ鬼の事のみいひやまず。その頃東山より、安居院の邊へまかり侍りしに、四條より上ざまの人、みな北をさして走る。「一條室町に鬼あり。」とのゝしりあへり、今出川の邊より見やれば、院の御棧敷のあたり、更に通り得べうもあらず立ちこみたり。はやく跡なき事にはあらざんめりとて、人をやりて見するに、大方あへるものなし。暮るゝまでかく立ちさわぎて、はては鬪諍おこりて、あさましきことどもありけり。そのころおしなべて、二日三日人のわづらふこと侍りしをぞ、「かの鬼の虚言は、この兆を示すなりけり。」といふ人も侍りし。(吉田兼好「徒然草」

    これからの写真 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • これからの写真【プロローグ】 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【プロローグ】 8月7日に愛知県美術館へ行った。「これからの写真」展の会場内、畠山直哉氏、鈴木崇氏、新井卓氏を見終わり、田代一倫氏の展示室に入ったところで、入口近くの畠山直哉氏の展示室の方から大きな話し声が聞こえて来た。後で調べてみたら、それは「愛知県美術館友の会特別鑑賞会 『これからの写真』展で、アートのこれからをみよう!」というイベントだった。同展の担当学芸員である中村史子氏の声が壁を隔てて聞こえる。「この写真の全てに写っているたった一つのものがあります。それは何でしょうか」。 「友の会特別鑑賞会」の一作家当たりに掛ける時間は平均して5分間位だろうか。比較的多めの作家もあれば、そうでない作家もある。一方当方は一作家に15分位は掛ける質なので、次第に「友の会特別鑑賞会」との距離は狭まって来る。続く木村友紀氏の部屋は、4分で立ち去る事を決意してしまったので尚更両者の距離は縮まり、遂には「友

    これからの写真【プロローグ】 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • 絵画の在りか - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    「絵画の在りか」展を見た。一瞬「絵画の在りか」の「(の)在りか」を「在りや」に空目した。「絵画在りや」。勿論「東京オペラシティ アートギャラリー」の壁に「絵画」は「在る」。しかしその「『絵画』が『在る』」という事こそが曲者だ。果たして「絵画」はどの時点から「在る」のだろうか。「絵画展」の会場で、その「在りか」の方へと関心が移ってしまった。 会場やカタログの彼方此方に「┌」「┐」「└」「┘」「─」「│」が配されている。確かに狭義の「絵画の在りか」を可能たらしめるのはそういう事ではある。サボる事しか考えていなかった1970年代の自分の学部生時代、ボール紙を材料に一夜漬けで作った「┌」「┐」「└」「┘」「─」「│」を下掲の形に壁に貼り付け、課題提出の講評会でそれを「絵画」と言い張った記憶(後に「神奈川県民ホールギャラリー」のグループ展に出す)が赤面を伴って会場で蘇ってしまった。その時の評価は最低

    絵画の在りか - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • 東京都現代美術館三題「ミッション[宇宙×芸術]」「クロニクル1995−」 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【承前】 【ミッション[宇宙×芸術]−コスモロジーを超えて】 中学1年だった1969年8月14日に静岡県袋井市で見た星空が忘れられない。後にも先にもこの時の星空が、未だに自分にとって最高のものだ。 その日親戚の家がある袋井に、母親と弟と共に到着した時には既に日がすっかり落ちていた。恐らく8月の日の入り時刻から言って、袋井到着は20時前後だっただろう。袋井に幾つもある手掘り隧道の一つを歩いて潜った記憶がある。殆ど獣道と言って良い道に街灯は一つも無かった。鼻を摘まれても判らない道をひたすら歩いた。 小高い丘の上に出た。頭上はそれまでに見た事の無い満天の星空だった。空がこれ程までに「重い」ものだとはその時まで思わなかった。「星降る夜」という言い回しがあるが、星が「降る」事を星と自分達との距離が縮まって行く事だとするなら、寧ろそれは自分達が星に向かって「降る」事によるものなのではないか。即ち自分達

    東京都現代美術館三題「ミッション[宇宙×芸術]」「クロニクル1995−」 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • 東京都現代美術館三題「ワンダフル ワールド」 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    休日に子供と遊びに出掛ける場所の一つに公園がある。市内には大きな公園が幾つか存在している。観光名所がそこに併設されていたり、或いは観光名所の周囲を公園化したりと様々だ。 法的瑕疵を排除する事を目的の一つとして綿密に整備された公園(例:代々木公園、新宿御苑、日比谷公園、浜離宮恩賜公園)の平板な「自然」は、「自然」を好む大人を納得させるのには成功するものの、その一方で自然を探検や冒険の対象にしたい子供にとって、例えば手付かずの山野と比べてそれは余りにも退屈過ぎる「自然」と言える。 そこで妥協案が図られる事になる。遊具の設置である。公園の「自然」は「公共」の「財産」でもある為に、探検心や冒険心を持つ子供に対しても、花を摘み取ったり、木の枝を折ったり、木登りをしたり、地面に穴を掘る等を強く禁ずる一方で、その代替手段として児童公園エリアを設定してそこに遊具を設置する。とは言えそれらも「公共」の「財産

    東京都現代美術館三題「ワンダフル ワールド」 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • ジャパンバーガー - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    そういう訳で、2014年の FIFA ワールドカップブラジル大会の決勝戦は、ドイツとアルゼンチンの間で戦われ、ドイツの優勝で幕を閉じた。たった5日前の話だが、随分と昔の様な気もする。 日人はこの決勝戦に日本代表が残っている事を何処かで夢想していただろうか。決勝戦に日本代表が残っていなかった事を「誤算」と思う日人はいるだろうか。飽くまでも想像でしか無いのだが、日人の日本代表に対する期待感の平均値としては、グループCを2位(1位ではない)でギリギリ通過して、決勝トーナメントの初戦(Round of 16=例:対コスタリカ戦)を辛勝し、準々決勝(例:対オランダ戦)で惜敗して「感動をありがとう」を言い合い、その翌日にはその「感動」をすっかり忘れるといった感じだっただろうと思われる。 FIFA ワールドカップを開催するには莫大な資金が必要だ。少なくとも21世紀のワールドカップはそうだ。今回のブ

    ジャパンバーガー - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • かたちの発語 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    少し前の話。知己のN氏(3歳)がこちらに近付いて来ると、氏が折り紙で作ったものを見せてくれた。 N氏は屈託無くニコニコ笑って何も言わない。 横にいた御母堂が、それが「何」であるのかを教えて下さった。緑色が「飛行機」で、青色が「新幹線」である。「誰か」から教わった「かたち」では無い。N氏は3歳の人らしく折り紙で「一人遊び」をしていたのだろう。そして二度程「正方形」の折り紙を折ったところで、N氏はそこに「(氏の)飛行機」と「(氏の)新幹線」の「かたち」を見出した。N氏自身、そこに「飛行機」や「新幹線」の「かたち」が「現出」するとは、その時点まで「想像」してもみなかったに違いない。 そもそも3歳のN氏にとっては、そうした意味での「想像」は重要ではない。N氏の中に、折り紙を折る前から確固たる「飛行機」や「新幹線」の「イメージ」が到達的なものとして存在し、その「イメージ」に「近付け」て折り紙を折って

    かたちの発語 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • 北加賀屋クロッシング2013 MOBILIS IN MOBILI –交錯する現在 金沢巡回展 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    2015年3月に「北陸新幹線(長野経由)」が金沢まで延伸開業する。速達型列車「かがやき」で東京ー金沢間は2時間25分前後に「短縮」される(現在は3時間47分)。東京ー金沢間の2時間25分は、東海道・山陽新幹線の東京ー新大阪間と同じ時間(「のぞみ」)だが、営業キロは東京ー金沢間が345.4キロであるのに対し、東京ー新大阪間は552.6キロである。営業キロ的には、東京ー金沢間は東海道・山陽新幹線の東京ー三河安城間(336.3キロ)とほぼ同じであり、その所要時間もその区間を「こだま」に乗り続けたものとほぼ一致する。いずれにしても、日政府が新幹線整備計画を決定してから、開業までに42年(「北回り新幹線建設促進同盟会」結成からは48年)が経過しているから、金沢にしてみれば「待ちに待たされた」感があるだろう。石川県による「カウントダウン 北陸新幹線 金沢開業」サイトには「北陸新幹線は石川県の未来を切

    北加賀屋クロッシング2013 MOBILIS IN MOBILI –交錯する現在 金沢巡回展 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • アンドレアス・グルスキー - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    昨夏「国立新美術館」で「アンドレアス・グルスキー」展を見た時に、何故か個人的な「懐かしさ」を覚えた。16時過ぎに入場というタイトな観覧だったので、その「懐かしさ」が何に由来するものかを、その時に突き止める事は叶わなかった。 以来「アンドレアス・グルスキー」に感じた「懐かしさ」が何だったのかがずっと気になっていた。「アンドレアス・グルスキー」を論じた文章も幾つか読んでみたが、「喉に刺さった小骨」の解決には遠いものだった。当然だろう。何故ならばそれは個人的な「懐かしさ」だからだ。「アンドレアス・グルスキー」をして「絵画的コンポジションとしての写真」と言われても全くピンと来ない。この個人的な「懐かしさ」は「絵画論」から説明出来るものではない。況してや「写真論」では尚更だ。100,000,000人中99,999,999人が「『絵画』的コンポジションとしての『写真』」や「『写真論』による『アンドレア

    アンドレアス・グルスキー - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • MOTアニュアル2014 フラグメント―未完のはじまり - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    「ファーブル昆虫記」(Souvenirs entomologiques=昆虫学的回想録)で知られる、ジャン・アンリ・ファーブル(Jean Henri Fabre:以後「ファーブル」)のブロンズ像二体である。「立像」は、サン・レオン(Saint-Léon)の生家(現 "Micropolis" 内)前に建立され、一方の「坐像」は、晩年を過ごした "Harmas"(アルマス=プロヴァンス語で「荒れ地」:現在記念館)がある南仏の村セリニアン(Sérignan)の教会横に建立されている。サン・レオンの立像は上着の襟を遮光フードにしてマツノギョウレツケムシ(松の行列毛虫=Thaumetopoea pityocampa)を拡大鏡で観察している姿であり、一方のセリニアンの坐像は切り株に腰を下ろして寛ぐ姿である。「坐像」のファーブル氏が左手に持っている拡大鏡は自身の膝に向けられていて、座るファーブル氏にとっ

    MOTアニュアル2014 フラグメント―未完のはじまり - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • 小品 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    「小さな作品」について考えている。 ウェブ評論誌「批評の庭」を主宰する小金沢智氏のツイートで、「小品」問題が語られていた。 - >たまに思い出す、びっくり発言① >著書が何冊もある某美術評論家T・S氏のこんな主旨の発言:「手で抱えられる程度の作品は「作品」ではない。作品は大きくなくてはいけない」。数年前、名古屋でのあるシンポジウムにて。 >氏によれば小さい作品は「作品」ではないのだそうです。当時この発言を聞kた時は呆然としましたが、作品とそのサイズの関係性について考えさせられたことは事実。やたら大きい作品は、「作品です」という顔をしているようにも見えます。 >あ、T・SではなくてC・Sか。 >「作品」って難しいですね。 >あくまで僕の記憶するかぎりではありますが、その発言はポジティブというよりはネガティブな意味を伴っていました。可能性として、その言葉がネガティブなものではないこともあるのか

    小品 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • 東京:2014年1月 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【承前】 一ヶ月以上前の続き。 - 再び新宿駅に戻り、都営地下鉄大江戸線に乗って六木に向かった。 東京都港区六木6-6=666に建つ「ピラミデ」を下から梯子する。「タカ・イシイギャラリー モダン」「ゼンフォト」を見て、エスカレーターに乗り「ワコウ・ワークス・オブ・アート」と立て続けに「写真」を見た。 他の美術作品同様に、「写真」もまた作品を見終えた後に「来る」ものがある。寧ろ「展覧会」会場内に「展示」されたものに対してしか何も見えず、一旦「展覧会」の外に出たら何も「来る」ものが無ければ、「展覧会」を見に行く意味の大方は失われる。例えば "Car Wrapping" の写真を見た後で再びドアの外に出てみれば、「ピラミデ」という建物やそこに入っているギャラリーを含めたテナント、或いは六木という街の表面が、"prophylactic" な "Fespa Car" 的「薄膜」と同様のもので成

    東京:2014年1月 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • Quadrangle - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    「東京が変われば、日が変わる」。恐らくそれは「西欧が変われば、世界が変わる」と同じ様な意味を持っている言葉だったに違いない。「東京が変われば、日が変わる」が、「東京が変われば、東京以外は否応なく巻き込まれる」なのか「東京が変われば、東京以外の手になる」なのかは判らない。いずれにしても、「東京」が示した現実としての「変わる」が、慨嘆の対象であるかもしれない「選挙の有名無実化」等々であるならば、「東京が変われば、日が変わる」という題目を「日」が受け入れる限り、「日」もやがてそう「変わる」べきなのであろう。「東京が落ちる所まで行けば、日も落ちる所まで行く」(=死なば諸共)。しかしそれは御免被りたい。 「東京」の展覧会巡りの続きを書く。 - 日国有鉄道がJRになった頃、駅のホームから駅員のマイクを通した声によるアナウンスが無くなり、「津田英治」氏と「向山佳比子」氏という「大阪テレビ

    Quadrangle - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • 六本木クロッシング2013 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    一週間前に終了したばかりの「六木クロッシング2013」の副タイトルは「OUT OF DOUBT! 来たるべき風景のために」だった。時に「OUT OF DOUBT!」は「疑うことからはじめよう」ともされている。「OUT OF DOUBT!(疑うことからはじめよう)」というのは、結構「思い切った」ものだと感じた。 多かれ少なかれ「現代美術」は「疑うこと」こそを思想的なエネルギー源としている。勿論「疑うこと」からはじめない、「信じること」からはじめる「現代美術」というものも存在するには違いないが、しかしそれは語義矛盾すら感じられるものであり、であるならわざわざ「現代美術」と名乗る必要性も無いと思われる。「現代美術」に於ける「疑うことからはじめよう」は、「現代美術」の「教科書」や「入門書」の副タイトルにしても良い位の「現代美術の定義」そのものであり、またその意味で、方法論的懐疑としての「現代美術

    六本木クロッシング2013 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • あいちトリエンナーレ 2013 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    名古屋市営地下鉄桜通線名古屋駅の壁面には、幅62.38メートル × 高さ2.17メートルの「高松次郎」がある。1989年制作の「高松次郎」のタイトルは、「イメージスペース・名古屋駅の人々」だ。現在は「東京三菱UFJ銀行」となった、嘗ては中京地区唯一の「都市銀行」であった「東海銀行(1941〜2002年)」の寄贈になる。 自分の血の半分は名古屋だが、名古屋に居住した事は無い。従って名古屋の住民がこの「バブル」時代の「高松次郎」をどう思っているかは判らないが、「よそ」から来た者にとっては非常に好ましい風景にも見える。その好ましさは「『高松次郎』だから」以上の理由による。 「高松次郎」は愛知県出身ではない。東京の出になる人であり、東京藝術大学卒の人であり、言わば名古屋にとっては「よそもの」である。その「よそもの」が、名古屋の「表玄関」である「名古屋駅」の壁面を独り占めしている。これが「荒川修作(

    あいちトリエンナーレ 2013 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • セラの環 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    1978年5月、昼下がりの多摩美術大学上野毛キャンパスL棟(現2号館)の一室に、数人の大学院生が集まっていた。学生達が囲むテーブルの上には、発売されたばかりの美術手帖が置かれていた。その中で彼らの関心を引いたのは、「アートランダム」という小さなコラム記事(注1)だった。 「セラさん環が身を覚えていますか」と題されたその記事には、今も日の現代美術史の一大トピックとして語り続けられている「第10回東京ビエンナーレ」(1970年)に出品されていた、ある作品の現状が書かれていた。リチャード・セラが東京都立美術館前の歩道に埋設した、L字鋼による環状の作品「環で囲む(注2)」。記事はセラの環が、上野公園整備事業の際に掘り起こされて行き場を失い、公園内の一角に放置されている実態を伝えていた。 学生達は、「文化遺産」がこのような形で取り扱われる事に単純に憤慨する一方で、ある不思議な事実に気付いた。「身元

    セラの環 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術