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ブックマーク / murrari.hatenablog.com (53)

  • ch.0「こうして結局、かの問は……」 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【序】 「呼吸器官」(organ)の「病」に犯されていた、巷間「ジル・ドゥルーズ」として知られていた「70歳」の「老人」が、フランス共和国パリ17区のアパルトマン(84 Avenue Niel)3階のベランダから自ら身を投じて生涯を終える4年前の1991年、当時「61歳」──翌年「62歳」で「循環器官」(organ)の発作により他界──の「老人」フェリックス・ガタリと著した最後の共著は、「哲学とは何か(“Qu'est-ce que la philosophie")」と題されている。 「東西冷戦構造」という「20世紀」(注1)的な「対立」の「形式」の「崩壊」(注2)を、「全世界」的に印象付けたとされるイメージの一つ、“Alle Menschen"(すべての人)(注3)に対する呼び掛けを歌い上げ、オリジナルの “Freude"(「歓喜」) を “Freiheit"(「自由」)に置き換えたレナー

    ch.0「こうして結局、かの問は……」 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術
  • 引込線2017 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    2008年に行われた「所沢ビエンナーレ・プレ美術展2008 —引込線—」(以後「プレ展」)から始まった「引込線」。10年目となる今回の「引込線 2017」(以後「2017展」)は、その第6回目だという。 プレ展 2008年の「プレ展」と、翌年2009年の「第一回 所沢ビエンナーレ美術展2009 —引込線—」(以後「第2回展」)(注1)は、西武鉄道所沢駅西口の旧西武鉄道車両工場で行われた。私鉄には極めて珍しく、自社で鉄道車両の製造業務を行っていた工場の跡地だ。同工場は旧陸軍立川航空工廠所沢支廠跡地をGHQから借り受けた事から始まる。初期の主な業務は空襲によって被災した車両(国鉄の「戦災国電」含む)の修繕復旧というものであった。 (注1)同展の正式名称は「第一回 所沢ビエンナーレ美術展2009 —引込線—」であるが、今回の2017展が「第6回」と銘打っている為に、そこから辿る形で「第一回 所沢

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  • やわらかな脊椎 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    大寺俊紀+乙うたろう「やわらかな脊椎」展の周回軌道上をグルグルと周る。 尚、同展の作品はバッテリー上がりの為に撮影していない。下掲レビューや、美術手帖2017年10月号の副田一穂氏の月評(208〜209ページ)等に掲載の画像/写真を参考にして欲しい。 ==== 大地(注1)がどうやら球体(注2)らしいと認識され始めたのは紀元前6世紀の頃だという。あのピュタゴラスにその創始者たる伝説的栄誉を持たせようという見方もあるにはあるが、それを証明する証拠が無い為に当のところは判らない。しかし紀元前5世紀に至ってピュタゴラス派がそれを明文化したとされている。 (注1)日語の「地球」という単語は、幕末期から明治期に中国から伝来した。その中国語の「地球」は、ヨーロッパから中国に大地球体説が伝えられて以降に誕生したものだ。 (注2)現在では「ほぼ球体」とするのが「正しい」。 「ほぼ球体」の大地は、その内

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  • シン・ゴジラ - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    それから、大きな声が聖所から出て、七人の御使にむかい、「さあ行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に傾けよ」と言うのを聞いた。 そして、第一の者が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々とのからだに、ひどい悪性のでき物ができた。 第二の者が、その鉢を海に傾けた。すると、海は死人の血のようになって、その中の生き物がみな死んでしまった。 第三の者がその鉢を川と水の源とに傾けた。すると、みな血になった。 それから、水をつかさどる御使がこう言うのを、聞いた、「今いまし、昔いませる聖なる者よ。このようにお定めになったあなたは、正しいかたであります。 聖徒と預言者との血を流した者たちに、血をお飲ませになりましたが、それは当然のことであります」。 わたしはまた祭壇がこう言うのを聞いた、「全能者にして主なる神よ。しかり、あなたのさばきは真実で、かつ正しいさばきでありま

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  • 奥村雄樹個展「な」 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    終了してから1ヶ月以上経過した展覧会について書く。椹木野衣氏によるそのレビューが掲載された、印刷版の美術手帖が発売されてからも二週間以上が経過した。その展覧会を「過ぎ去ってしまったもの」として見るならば、これを今書く事は単純に遅れていると言わざるを得ない。それともそれは、29771日以降に更新されなくなったものに対して言及する事が「遅れている」様なものだろうか。 ==== 観光ヴィザでアメリカにやって来た「私」が、ニューヨークで遭遇した人間として最初に記述したのは、「膝のぬけたジーンズを穿き、髪が縮れ、(…)真黒に日焼けした」男であった。男の人種は良く判らない。メキシコ人? プエルト・リコ移民? フィリッピン人? 東南アジア人? アメリカ・インディアン? しかしそれを殊更に詮索しない者にとっては、その男が何者であるかはどうでも良い。この国で生まれた訳ではないその男は、周囲からそれを殊更に詮

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  • クロニクル、クロニクル!「長過ぎる序」 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【長過ぎる序】 1月1日の「28年目」に続く文章がここに入る筈だった。それは「芸術」と「ひと」の関係を書こうとしたものだ。 そもそも「ひと」と関わり合う事でしか機能し得ない 「芸術」が認識している「ひと」、「芸術」にとっての「ひと」とは何なのだろうか。そうした事をつらつらと考えている内に、時間ばかりが過ぎていった。結局その文章は後に回す事にした。 ==== 「ひと」を表わす言葉には幾つかある。カール・フォン・リンネ(カロルス・リンナエウス)の “Homo sapiens"(英知人)というのはその最も良く知られたものの一つだろうが、“sapiens"(英知)で規定されない “Homo"(人)であっても、それはそれで全体集合としての「ひと」ではある。従って “Ecce Homo"(「エッケ・ホモ=この「ひと」をみよ)の “Homo" を、「ひと」の形をした「全て」、即ち「ひとがた(人像)」―そ

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  • 28年目 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    これもまた嘗てあった事だ。とは言え「つい最近」の話である。現在日の「現代美術界」で「若手」と呼ばれている人達の多くが、この世に生を受けた後の話になる。少なくとも71年以上も前の事ではない。 ---- 日の「80年代美術」はいつ「終わった」のだろうか。「80年代美術」が「未だ続いている」とは誰も思わないから、何処かでそれは何らかの形で「終わった」筈である。一体何をして「80年代美術」は「終わった」とされるのだろうか。 所謂「バブル経済」が1991年に崩壊したその時に、それが「終わった」という見方は可能だ。1989年11月9日の「ベルリンの壁崩壊」を以って、「西側」文化の一変種としてのその成立基盤が、多少なりとも揺らいだという事もあるだろう。では、日の「80年代美術」の「終わり」が1989年1月7日の「昭和」の「終わり」と軌を一にしているというのはどうだろうか。 ---- 「昭和」の「終

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  • 現実のたてる音/パレ・ド・キョート「序」 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【長過ぎる枕】 尋牛序一 從來不失 何用追尋 由背覺以成疎 在向塵而遂失 家山漸遠 岐路俄差 得失熾然 是非鋒起 I Looking for the Cow She has never gone astray, so what is the use of searching her? We are not on intimate terms with her, because we have contrived against our inmost nature. She is lost, for we have ourselves been led out of the way through the deluding senses. The home is growing farther away, and byways and crossways are ever confusing

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  • すくなくともいまは、目の前の街が利用するためにある - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【枕】 「枕」は仮定の話になる。 或る古書店で古い洋書を買ったとする。そのがどういう経緯でこの店先に流れ着いたのかは判らない。そのページを捲って行くと、二葉の写真プリントが挟まれていた。 裏書めいたものは無い。一体何時頃の写真だろうか。少なくともカラーフィルムが発明されてからのものである事は確かだ。ここは何処なのだろう。撮影者は何処の誰だろう。そして何を思ってこのショットを撮ったのだろうか。 【枕】終わり。 ---- 東京・恵比寿の waitingroom で、「すくなくともいまは、目の前の街が利用するためにある」展を見た。 同展プレスリリース(PDF) http://www.waitingroom.jp/japanese/exhibitions/2015/doubles_vol1/07122015_waitingroom_doublesPR.pdf 奥の部屋の一面の壁全面に大きく「引き

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  • 躱す - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    馬鹿もほどほど いい加減にしろよ オケが終っても歌っています あること無いことはじからポイポイ 口先だけでゴロだけ合わせ あたしゃ歌手です いい加減にしろよ...... お風呂の加減はいかがです? いい加減です 所ジョージ「いい加減にしろよ」 ---- 展示室に入ると早速「躱す」をされてしまった。会場である CAS の展覧会情報に掲載されている椎原保氏や谷中佑輔氏の作品のイメージを抱えて行くと、果たしてそこにあったのは(取り敢えず現象的には)それらとは全く異なるものであった。全く以って「躱す」である。 但しその当該ページには、それぞれの作家が「躱す」事が予め書かれてはいる。 谷中は自身の身体と自らがつくりだす彫刻とに向き合い、よじ登り、べ、叫ぶ。 他方、椎原は、丹平写真倶楽部のメンバーであった父・椎原治(1905-1974)と向き合う。 亡き父が残した散逸しつつある資料の整理と、自身の日

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  • 窓と壁 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【前説 1/3】 悲しくも人類にしか出来ない暴力の形。 Sirens of the lambs : Banksy ---- 【前説 2/3】 “Güterwagen" =「貨物のワゴン」。このドイツ語は、日語では通常「貨車」と訳される。 ポーランド南部の小さな村ブジェンジンカ(Brzezinka)村境沿いのユデンランペ(Judenrampe)に、数十年インストールされているこの年代物の “Güterwagen" は二軸車である。スポーク車輪の軸受の上には、相対的に簡便廉価なサスペンション・システムであるリーフスプリングが渡されている。決して乗り心地が最上であるとは言えない。しかし「客車」ではない「貨車」であるから、この「貨車」を走らせていた者にとってそれは問題とはならなかったのだろう。 これと似た型式の「貨車」の内部はこうなっている。「貨物(Güter)」が「窓」を必要とする事は「無い」

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  • ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    国立国際美術館B2階のエスカレーター周辺は、実は結構好きな場所だったりする。インフォメーションやミュージアムショップやレストラン等のあるB1階とB2階を繋ぐ上下線のエスカレーターの脇(そこの丸柱に所在なげな「須田悦弘」がある)、B2階展示室とB3階展示室を繋ぐ上下線のエスカレーターの脇、そして奥のトイレ沿いの壁面。そこにキュービックな椅子が並んでいて、ここを訪れた際にはいつもそれに座っている。 国立国際美術館のフロアマップを見ると、そこは「展示室」という事になっていて、その壁面や床面に作品が展示される事もある。今回の「ヴォルフガング・ティルマンス Your Body is Yours」展でも、そこは確かに「展示室」だった。壁面上には「ヴォルフガング・ティルマンス」が「ヴォルフガング・ティルマンス」的にインストールされている。床面上には資料展示の台が設置されている。 上述フロアマップのページ

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  • エンバレイン(中に入れる) - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    世界は、2020 年に東京で ひとつの TEAM になる歓びを体験する。 すべての人がお互いを認め合うことで ひとつになれることの その大きな意味を知ることになる。 その和の力の象徴として、このエンブレムは生まれました。 すべての色が集まることで生まれる黒は、ダイバーシティを。 すべてを包む大きな円は、ひとつになったインクルーシブな世界を。 そしてその原動力となるひとりひとりの赤いハートの鼓動。 オリンピックとパラリンピックのエンブレムは、 同じ理念で構成されています。 オリンピックエンブレムは、 TOKYO、TEAM、TOMORROW の T をイメージし、 パラリンピックエンブレムは、 普遍的な平等の記号 = をイメージしたデザインとなっています。 2020 年はもうそこに来ています。 このエンブレムのもとに ひとつになって すばらしいオリンピック・パラリンピックを つくりましょう。

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  • だれも知らない建築のはなし - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    「都市」の話。更に北半球の「都市文明」の産物である「建築」の話。従って以下の長過ぎる文章は――引用も含め――この惑星の極めて限定的な場所でのみ有効になる話だという事を断らなければならない。 - 1. Beyond a certain critical mass, a building becomes a BIG Building. Such a mass can no longer be controlled by a singular architectural gesture, or even by any combination of architectural gestures. The impossibility triggers the autonomy of its parts, which is different from fragmentation: the parts

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  • バーネット・ニューマン 十字架の道行き - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    [...] if you are involved in the world. you cannot be an artist. We are in the process of making the world, to a certain extent, in our own image. ... もしこの世界に巻き込まれているのなら、あなたは芸術家である事は出来ません。私達は、自分自身のイメージを以って――ある程度までは――世界を作り上げて行くプロセスの中にいるのです。(拙訳) Barnett Newman "Remarks at Artists' Sessions at Studio 35"(1950) MIHO MUSEUM の2015年春季(3/14〜6/7)。「バーネット・ニューマン 十字架の道行き」展をメインの目的にした、2015年一回目の MIHO MUSEUM には車を運

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  • 高松次郎 制作の軌跡 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    国立国際美術館(大阪)の「高松次郎 制作の軌跡」展(2015年4月7日〜7月5日:以下「制作の軌跡」展)の評判が良い。 http://www.nmao.go.jp/exhibition/index.html (時限URL) 少なくとも「現代美術」に多少なりとも関わっている人間、或いは「現代美術」に多少なりとも造詣が深いという自意識を持つ人間、そして何よりも「展覧会」を見たい人間(以下「クラスタ」)の間ではそういう声が多い。確かに同展は「『良い』展覧会」には違いない。しかしその多くは、東京国立近代美術館(東京:以下「東近美」)で行われていた「高松次郎ミステリーズ」展(2014年12月2日〜2015年3月1日:以下「ミステリーズ」展)に対比させる形で「良い」としている印象も無いでは無い。それら「クラスタ」による「ミステリーズ」展に対する反発の大きなものの一つになっていると思われるのは、「影ラボ

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  • PARASOPHIA - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【「PARASOPHIA(序)」から続く】 para- |ˈparə| (also par-) prefix 1 beside; adjacent to: parameter | parataxis | parathyroid. • Medicine denoting a disordered function or faculty: paresthesia. • distinct from, but analogous to: paramilitary | paraphrase | paratyphoid. • beyond: paradox | paranormal | parapsychology. • subsidiary; assisting: paramedic | paraprofessional. 2 Chemistry denoting substitution at d

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  • PARASOPHIA(序) - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【序】 美容師には「現代アート」(表記例/以下同)好きの人が少なくない。その京都のヘアサロンの人もそうだ。待合のテーブルの上には「現代アート」関連のが置かれていて、先般国立国際美術館(大阪)にも巡回した「アンドレアス・グルスキー展」のカタログもそこに含まれていたりする。あいちトリエンナーレには行かなかったものの、横浜トリエンナーレには行ったという人だ。カテゴライズのバンドを極めて広めに取れば、「現代アート」の範疇にあると言えなくも無い数点の小作品も、店内のディスプレイとして置かれている。 3月下旬の事。その京都のヘアサロンで髪を切られながら、その「現代アート」好きの人に「PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015」の話を振ってみた。果たしてここから遠隔の「横浜トリエンナーレ」にも足を運ぶ「現代アート」好きのその人は、この「地元」で行われている「PARASOPHIA」のいずれの作品

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  • OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    【告】 2014年11月の前回の記事から3ヶ月半以上が経過した。それを「【続く】」と締めた様に、その記事に続く文章は用意されていたし、今でもローカルマシンとクラウド上には、それをリリースしようと思えば可能な形で留め置かれている。2014年12月から2015年3月の間までに何回も書き直されたそれがリリースされなかったのには自分なりの理由があるが、その理由については、これからアップする数の記事の後にリリースする「【承前】」から始まる記事で触れる事になるだろう。 - 【OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR】 なかま あつめ かすたねっと けんだま たんばりん まらかす こま たいこ じしゃく とらいあんぐる らっぱ おりがみ ばいおりん おままごと えのぐ ぎたー ぬいぐるみ もっきん どうぐ は ぜんぶ で いくつ あるかな? あそび ど

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  • 不在 - 〈B術の生態系〉Bな人のBな術

    1980年代の日の「現代美術」が回顧される際に、それが1980年代の日の「現代美術」として語られる事は些かも無く、しかし或る意味でその後の日の「現代美術」に最も繋がる形で最も重要なものの一つは、赤瀬川原平氏だったと今でも思う。 1980年代の赤瀬川原平氏と言えば、雑略に言えば「尾辻克彦」と「超芸術トマソン」の時代なのだが、後者が1982年に発売された「写真時代1983年1月号」の連載「発掘写真」の「街の超芸術を探せ」の回で登場した時、それを見て単純に「やられた」と思った。この人は何でこんなにもスマートに事を運べるのだろうか。「育ち」の違いをまざまざと感じさせられた。 日の1980年代「現代美術」に関して巷間言われるところは、相対的に「華やか」であるとかそうした類の形容であったりするが、しかしそれに対して総じて言えるのは、寧ろ「泥臭い」という事であり、また「自己承認」に対して何処かし

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