タグ

ブックマーク / madoken.jp (2)

  • 第1回 畠山直哉 鏡なのか窓なのか | 窓をかさねる | 窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE

    窓から外を眺めている。外の光景は動きを伴い明るく輝き、自分はただそれに見とれている。窓を挟んで、あちら側にはすべてがあり、こちら側には自分だけがいる。振り向けば部屋の壁にも、窓によく似たガラスが掛けられている。でもその奥に明るい外の光はない。覗き込めばそこには自分がおり、こちらを見返している。 むかし米国で「ミラーズ・アンド・ウィンドウズ – 1960年以降のアメリカ写真」という展覧会があった。あれは僕が大学に入った頃だったから70年代の末か。ニューヨーク近代美術館写真部門にいたジョン・シャーカフスキーという名物キュレーターが、米国におけるここ20年間の特筆すべき写真作品を集めた展覧会をつくったのだった。僕はそのことを輸入された展覧会カタログで知り、その内容に胸をときめかせた。なぜならそこには、その後日で人気になる写真家たち、たとえばロバート・メイプルソープとか、あるいはエグルストンなど

    第1回 畠山直哉 鏡なのか窓なのか | 窓をかさねる | 窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE
  • ゴードン・マッタ=クラークと開口 | インタビュー | 窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE

    東京国立近代美術館で開催中の「ゴードン・マッタ=クラーク展 Gordon Matta-Clark: Mutation in Space」。コーネル大学建築学部を卒業後、アーティストに転身。短い生涯で多くの実験的なプロジェクトを発表したゴードン・マッタ=クラークとは、どのような人物だったのか。家を電動ノコギリで半分に切る代表作《スプリッティング》や《ウインドウ・ブロウ゠アウト》をはじめとする作品の“開口部”を手がかりに、担当研究員の三輪健仁氏、OMAでの勤務経歴ももつ、会場デザインを手がけた小林恵吾氏に話を伺った。 ドキュメンテーションを展示する ──今回はアジアで初めてとなるゴードン・マッタ=クラークの回顧展とのことですが、どのような経緯だったのでしょうか。 三輪健仁(以下:三輪) 1978年に35歳で亡くなるまで、ゴードン・マッタ=クラークのアーティストとしての活動期間はわずか10年ほど

    ゴードン・マッタ=クラークと開口 | インタビュー | 窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE
  • 1