窓から外を眺めている。外の光景は動きを伴い明るく輝き、自分はただそれに見とれている。窓を挟んで、あちら側にはすべてがあり、こちら側には自分だけがいる。振り向けば部屋の壁にも、窓によく似たガラスが掛けられている。でもその奥に明るい外の光はない。覗き込めばそこには自分がおり、こちらを見返している。 むかし米国で「ミラーズ・アンド・ウィンドウズ – 1960年以降のアメリカ写真」という展覧会があった。あれは僕が大学に入った頃だったから70年代の末か。ニューヨーク近代美術館写真部門にいたジョン・シャーカフスキーという名物キュレーターが、米国におけるここ20年間の特筆すべき写真作品を集めた展覧会をつくったのだった。僕はそのことを輸入された展覧会カタログで知り、その内容に胸をときめかせた。なぜならそこには、その後日本で人気になる写真家たち、たとえばロバート・メイプルソープとか、あるいはエグルストンなど
![第1回 畠山直哉 鏡なのか窓なのか | 窓をかさねる | 窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/81af9b3efa88ff9e3f59cb1a7c775f35a56b7414/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fmadoken.jp%2Fwp%2Fwp-content%2Fuploads%2F2022%2F09%2Fslow-glass-tokyo048-1201x1800.jpg)