「父の介護と母の看取り。「終末期鎮静」という選択。」の第1回はこちら 母の死は、あっけないものではなかった。 入院2日目からさまざまな症状が彼女を襲い、苦痛は彼女を不機嫌にさせ、唸り、叫び、悶え、常に気丈に振る舞っていた母が、どんどんわたしの知っている母ではなくなっていった。 ごくたまに苦しさがましになったとき、母は必ず今後の楽しみについて話をした。わたしたち母娘は二人で旅行に行ったこともなく(それは父を起因として、ある時期まで母娘関係がよくなかったことに関係するのだが)、一緒に温泉に行こう。ね、いいでしょ。そうやね、行こう。だから頑張って治療して元気になろう。 同じ内容を、母が苦痛にあえいでいるときに励ましの意味で持ち出すと、「これ以上、何を頑張れっていうのよ」と、彼女は強い口調でわたしを責めた。いや、わたしが彼女を責めてしまったのだと、今ならわかる。病人は限界を超えて頑張れる以上に頑張