神港学園神港高校では1991年、2年生時に三塁手、4番打者として夏の甲子園県予選決勝に進むが、安達智次郎、黒田哲史を主軸とする村野工に敗退。翌1992年には捕手に回り夏の甲子園に出場[1]。3回戦に進むが池田高に惜敗。同年秋のプロ野球ドラフト会議にて阪神タイガースから6位指名を受けて入団[1]。入団時に「契約金で母の墓を建てる」と発言した。 当時の阪神の捕手には山田勝彦、木戸克彦、関川浩一らが在籍しており、塩谷だけ捕手としては出場機会に恵まれず、二軍暮らしが続いていた。 1996年10月9日のシーズン最終戦となる中日ドラゴンズ戦で塩谷が1回裏に中西清起への代打で起用[注 1]され、プロ初本塁打となる満塁本塁打を打ったことで阪神は日本プロ野球史上初となる「1イニング満塁本塁打2本」を記録した。なお、同じ回に1本目となる満塁本塁打を打ったのは新庄剛志であった[2][3]。 塩谷の入団後にも、同