斉藤澄子 斉藤 澄子(さいとう すみこ、1913年(大正2年)1月10日 - 1942年(昭和17年)8月22日)は、日本の元騎手、元厩務員(京都競馬場)。岩手県岩手郡厨川村(現在の盛岡市)出身。 一度もレースで騎乗することのなかった、日本及び世界初の女性騎手として知られる。 実家は農家で、幼少の頃から馬に親しんだ生活を送った。10代の前半に父が死亡し母も病気で体調を崩したため、学校をやめて馬喰に弟子入りした。修業中に訪れた黄金山競馬場(旧・盛岡競馬場)で競馬のレースを見たことをきっかけに騎手を志すようになり、1929年に福島競馬場の調教師に弟子入りした。 日本の競馬界は当時は伝統的に男尊女卑の思想が強く、福島競馬場時代の師匠からは弟子入りの条件として「男になりきって修行する」ことが要求された[1]。以後常に髪を短髪のオールバックにし胸に晒を巻き煙管でたばこを吸うなど男になりきった。 弟子