秋本氏は高校卒業後、アニメ制作会社のアニメーターとなる。病気の母の看病のため、約2年で退社。投稿漫画家として過ごすが、母の死をきっかけに新人賞に応募した作品こそ「こち亀」だった。当時ジャンプは、ギャグ漫画の強化を図っていた。デビュー前には劇画志向が強かった秋本氏だが、編集者に、「ギャグで行こう」と言われて「こち亀」の連載を開始する。 あの小林よしのり氏が、「東大一直線」の連載を開始したのも76年。秋本氏を「同期」と呼ぶ小林氏が、当時を振り返る。 「秋本君とは担当が同じだったんです。今は集英社代表取締役になった堀内丸恵さんという人。当時、わしはまだ福岡に住んでたんだけど、堀内さんにくっついてなぜか秋本君も福岡に来て3人で『東大一直線』の取材に行ったりしてた。逆にわしが上京したら必ず3人でメシに行ったり。そうやって仲よくなりましたね」 その関係は今日まで続く。 出会った当初、秋本氏は口数が少な
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