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筑豊(4)-端から壊れてく日本 路地裏ダイバー
(筑豊レポートその4です。初めての方は、最初からお読みになると、より楽しむことが出来ます。) 元々... (筑豊レポートその4です。初めての方は、最初からお読みになると、より楽しむことが出来ます。) 元々が炭鉱を掘り出す鉱山と、それを運ぶ鉄道、そしてそこで働く人が住む住宅、掘った土を溜めておくボタ山でできていた、筑豊の町々。 だけど70年代に鉱山は閉山し、人は筑豊を去っていき、鉄道は配線、街はゴーストタウン化していった。 筑豊にはそうした遺構が残っていた。 古ぼけたバス停や、時代から取り残されていった商店街、駅があったと思われるどこか不自然な街、そして、鉱山跡にできた再開発地。 一方で、時代から取り残された人たちの閉塞感が集まり、たとえば田川市のように鉱山跡に無秩序な開発が進んだり、ヤンキー向けの商売が蔓延していったりして、どうにもならない状態になってしまっていた。 ★くすぶる炭の粉・田川★ 筑豊の代表的な都市、「田川市」の第二の市街地「後藤寺」にきた。 中心街にアーケードの商店街が広がる街だ