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弾丸列車と満鉄あじあ号 - 十三のいま昔を歩こう
弾丸列車から新幹線へ(2) 弾丸列車と満鉄あじあ号 戦前、東京ー下関間を高速鉄道で結ぶ「弾丸列車計... 弾丸列車から新幹線へ(2) 弾丸列車と満鉄あじあ号 戦前、東京ー下関間を高速鉄道で結ぶ「弾丸列車計画」という構想がありました。東京ー大阪間を4時間半、東京ー下関間を9時間で運行する長距離高速鉄道は、線路を立体交差にし踏切はなく線路幅も1435ミリメートルの広軌を採用。この計画は昭和15年2月に国会で審議され、昭和15年度から昭和29年度までの15カ年計画で着工されました。将来的には、下関ー釜山間に海底トンネルを通し、朝鮮半島から満州の奉天(瀋陽)をへて北京まで、総延長3692.7キロメートルを3日間で結ぶというものでした。 日本は日中戦争のさなかで、満州と内地を往来する人員と貨物が飛躍的に増えていました。国内の輸送力は逼迫が目前で、その増強は急務だったと思われます。 『弾丸列車』より 東京ー大阪間を4時間半で結ぶという事は、最高速度を150キロにする必要がありました。新型車両は蒸気機関車と