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このあいだから『リトバス』について何度か触れている。だが、僕としては、どれだけ言葉を弄しても何か... このあいだから『リトバス』について何度か触れている。だが、僕としては、どれだけ言葉を弄しても何かどうしようもない苛立ちを感じて仕方がなかった(まぁパソコンともども暑気にやられていたから……というのも否定しない)。実際、『リトバス』という作品は、麻枝准年来の「反転」の小細工だけで成り立っているところがある。確かにそこにはある種の状況介入的なものもあって面白いのだが、他方で、それをどうしようもなく安易ではないか、と思ってしまう自分もいる。だからこそ、しつこく書かざるをえなかったというのが正確だ。 その理由はあるていどはっきりしている。以前からこのブログでは、ゲームと構造主義の類縁性について触れている。簡単に言えば、ゲームというのは(もっとも抽象的に定義するならば)「変換のシステム」であり、構造もまた同じなのだ。しかし、この点については前々からひとつの問題があった。それはゲームの無意味な「変換
2007/08/22 リンク