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【定山渓鉄道・百話 定山渓鉄道線路跡の今(2)】 - どうしん鉄道ブログ
1969年10月に営業廃止となった定山渓鉄道は、間をおかずに線路の撤去作業が開始されました。札幌... 1969年10月に営業廃止となった定山渓鉄道は、間をおかずに線路の撤去作業が開始されました。札幌市営地下鉄の建設計画の一環で線路譲渡した平岸~藤ノ沢間の線路撤去は、さよなら電車が豊平駅に滑り込んだその翌日にはもう始められていたそうです。 廃止から5年後の1974年夏に真駒内から定山渓までの線路跡地を歩いたのですが、レールや枕木は撤去されていたものの線路の敷石はほとんどの部分で残され、キロポストのほか木製の曲線標、区界標なども散見され、ほとんどの橋梁にはまだ橋桁も枕木も残っていました。豊平駅舎は不動産部事務所、定山渓駅舎はバス待合として存続し、石切山、下藤野、東簾舞、小金湯の駅舎建物は使われていないものの解体されておらず、藤の沢、簾舞、滝の沢、錦橋、白糸の滝の駅舎は土台が残るのみという状況でした。 さて、廃止から46年が経過する今年、約10年ぶりに線路跡地を巡ってみましたので、その時の模様を
2015/10/16 リンク