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能楽堂に思う | 自己内対話
昨日、渋谷能楽堂にて狂言と能の鑑賞。野村万作・萬斎親子『宗論』、櫻間右陣『当麻』。いずれも昨今観... 昨日、渋谷能楽堂にて狂言と能の鑑賞。野村万作・萬斎親子『宗論』、櫻間右陣『当麻』。いずれも昨今観た中で、よい舞台だった。 以下のコメントはただ周辺的な、そして些細なことを。 例えば『当麻』の中に「たづきも知らぬ山中に」という箇所がある。字面だけ追うと、つい「さんちゅう」と呼んでしまったが、地歌が「やまなか」と歌い上げるのを聴いて、確かに、音で理解していた昔の名残というか、日本語の特性からすれば、ここは訓読みがよいのだろうと、今さらながら得心した(真実は違うのかもしれないが)。 能ではかつてありし人物が霊となって登場することがよくある(というかほとんどか)。そのような舞台を見る上で欠かせないのが「照明」だ。 しかし明治期の文明化の過程で、能舞台は欧米の文化(歌劇場)に倣って、室内空間へと閉じ込められた。問題は室内でどのような「照明」を行なうのかである。 現代では、謡本を読む観客のために客席も
2013/03/26 リンク