エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
片付かないキョウの問題 : 書迷博客
2006年12月26日00:00 カテゴリはなしのつづき 片付かないキョウの問題 北京はかつて燕京と称したことも... 2006年12月26日00:00 カテゴリはなしのつづき 片付かないキョウの問題 北京はかつて燕京と称したこともあって、その名前はビールのブランド名にも残っているが、これは「エンキョウ」と読むのか、「エンケイ」と読むのが正しいのか。 という話を「京」に書きました。 そのとき、東京も「トウケイ」と読み慣わした時期があることにも触れた。 安藤鶴夫『歳月』(講談社文芸文庫)の「江戸ッ子のくやしさ」にこんな話が出てくる。 <江戸から、東京という名にかわったとき、いったい、江戸ッ子と称するひとたちの気持ちは、どうだったろう、腹が立たなかったであろうか。>(P36) 江戸が東京と改称されたのが、慶応四年(1868)の七月。 昨日まで慣れ親しんだ江戸が東京なんて気取った名前にかわったのである。 <わたしは明治の末ッ子だが、子供の時分、寄席なんかで、講談師や、落語家(ルビ:はなしか)が、地方人、そのころの