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キッチンに立つ喜び 祥一郎のために : 何故死んでしまったの 祥一郎の生きた証
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キッチンに立つ喜び 祥一郎のために : 何故死んでしまったの 祥一郎の生きた証
2016年06月01日21:14 カテゴリ喪失感 キッチンに立つ喜び 祥一郎のために 仕事となれば別だが、私はキ... 2016年06月01日21:14 カテゴリ喪失感 キッチンに立つ喜び 祥一郎のために 仕事となれば別だが、私はキッチンに立ってあれこれ思索しながら料理するのが好きだった。 まだ小学生の頃から、夜中にキッチンで色々と自分流に作り、失敗しては親に叱られたりもした。 両親に早くに捨てられ、誰も弁当を作ってくれる人がいなくても、自分で作って通学していた。 遠い昔に亡くなった伯母に聞いた話によると、私の先祖は韓国宮廷料理の流れを汲んだ料理人だったそうだ。(ひょっとしてチャングムの子孫かその傍系か?) その先祖の想いが影響しているのかどうかは知らないが、とにかく料理することは苦にならない、。 加えて自分が食い意地が張っているというのもある。美味しいものが食べたいという欲求が人一倍強い。 (私はおうし座生まれだが、おうし座の人は大概食にこだわりがあるらしい) 一人暮らししていた頃もたまに外食はするが、概