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なぜ「天道」から始まるのか—仁斎『語孟字義』を読む : 子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ-
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なぜ「天道」から始まるのか—仁斎『語孟字義』を読む 子安宣邦 [大阪の懐徳堂研究会が... なぜ「天道」から始まるのか—仁斎『語孟字義』を読む 子安宣邦 [大阪の懐徳堂研究会が主催する市民講座で私が宣長・仁斎・徂徠についての講義をしていったのは、この世紀に入ったばかりの時期、2003年から07年にかけての時期であった。その講義の記録は『宣長学講義』がもっとも早く2006年に岩波書店から刊行され、次いで『徂徠学講義』が同じく岩波書店から2008年に刊行された。だが『仁斎学講義』が未刊のままになっている。なぜこれが遅れているのか。出版をめぐる事情もあるが、そもそも私の講義原稿の整理が十分にできていないことによるのである。だがこのことは自分自身でも理解できないことだ。江戸のあの三大人のなかで私がもっとも私淑するのは古学先生伊藤仁斎である。そうであるのになぜ『仁斎学講義』がもっとも遅れるのか。そこには私の思想の方法にもかかわる問題があるのかもしれない。だがもう私に時は残され