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昭和の庶民史を語る会 : 「大東亜記念造営計画」 原爆ドーム - livedoor Blog(ブログ)
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昭和の庶民史を語る会 : 「大東亜記念造営計画」 原爆ドーム - livedoor Blog(ブログ)
2010年06月27日14:12 カテゴリ戦争遺構研究会 「大東亜記念造営計画」 原爆ドーム 1964年の底流 ... 2010年06月27日14:12 カテゴリ戦争遺構研究会 「大東亜記念造営計画」 原爆ドーム 1964年の底流 矢作俊彦。1940年の主会場を設計するはずだった建築家、岸田日出刀もそのひとりだ。彼が国立代々木競技場の設計に丹下健三を強力に推したのは1940年から1964年への継続を望んだからではあるまいか。 丹下健三は、42年の大東亜建設記念営造計画というコンペに、富士山東麓に戦勝と大東亜共栄圏確立を祝す記念堂を打ち立てるとするプランを持ち込み、世間に名を知らしめた。これは、見事なほどに日本的なファシズム建築を中心にした人工的な「神域」をこしらえ、 富士山と皇居という「神域」を、大東亜道路と大東亜鉄道によって結ぶという壮大な計画だった。この道路と鉄道は、まさに東名高速と新幹線に地図上でぴったり重なり合っている。その道路は、帝都復興計画を作成した直木倫太郎の夢見た東京大阪弾丸道路の引用とも言