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ドジっ子Watcher 晒しについて考える その2
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ドジっ子Watcher 晒しについて考える その2
前回の記事(晒しについて考える その1)では「公表された意見を引用して批判するのは当然の権利であ... 前回の記事(晒しについて考える その1)では「公表された意見を引用して批判するのは当然の権利であり、それに伴う『出所の明示』のためのリンクを晒し呼ばわりすべきではない」という意見を書いた。 まあもちろん「本当に正当な批判か(単なる個人攻撃や誹謗中傷に終わってないか)」「批判は添え物で、実ははやし立てるために引用・リンクしたのではないか」等、形式的に守ればいいというものではないと思うので一概には言えないところもあろうかとは思う。 ここで改めて書くが、そもそもこの論を書こうと思った理由は「本来そう呼ぶべきでないものまで晒し呼ばわりし、相手を悪者にすることによって批判を回避する」というような風潮が一部に見られると感じたからである。さすがにそれはまずいんでない? と思うので、前回の記事を含め「これを晒しと呼ぶのはいかがなものか」ということを中心に書いてみることにする。 晒しの基準は人によって違う