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コラム別に読む : 出雲と大和―古代国家の原像をたずねて [著] 村井康彦 - 長薗安浩 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
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コラム別に読む : 出雲と大和―古代国家の原像をたずねて [著] 村井康彦 - 長薗安浩 | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
■邪馬台国は“出雲”が立てたクニだったのか 今年、伊勢神宮は20年に一度の、出雲大社は60年に一度の... ■邪馬台国は“出雲”が立てたクニだったのか 今年、伊勢神宮は20年に一度の、出雲大社は60年に一度の遷宮を迎える。 伊勢神宮が大和政権の祖神、天照大神を祀っていることを考えれば、「古代国家の原像をたずねて」という副題がついた村井康彦の『出雲と大和』は、そのタイトルだけですでに興味深い。しかも帯には、〈邪馬台国は出雲勢力が立てたクニである!〉と書かれているではないか。 村井がこの説にたどりつくきっかけは、〈大和朝廷に隷属する存在でしかなかった〉とされてきた出雲論への疑心だった。村井の疑問は、3つのデータに基づいていた。 (1)朝廷が崇めた大和の三輪山の神が、なぜ出雲の大国主神と同神である大物主神なのか? (2)8世紀はじめ、出雲国造が朝廷で奏上した神賀詞(かむよごと)の中で貢置を申し出た「皇孫の命の近き守神」が、三輪山の大神(おおみわ)神社、葛城の高鴨神社など、いずれも出雲系の四神だったのは