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賢しさの限りを尽くした安倍談話 ―あらためて考える「歴史問題」番外 | ちきゅう座
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賢しさの限りを尽くした安倍談話 ―あらためて考える「歴史問題」番外 | ちきゅう座
<田畑光永(たばたみつなが):ジャーナリスト> 敗戦70年の安倍談話が発表された。ひと言でいって、い... <田畑光永(たばたみつなが):ジャーナリスト> 敗戦70年の安倍談話が発表された。ひと言でいって、いかにもこの人らしい談話である。予想される批判に対して言いぬけ用の布石を配して、どうだ文句はないだろうと胸をはっているのだが、それがかえって本人の心底を浮き彫りにしてしまうという結果に気付いていない。小賢しさの限りを尽くしている点では出色である。 簡単な例からいけば、村山、小泉両談話で共通に使われた4つのキーワード(マスコミの命名だが)、つまり「侵略」、「植民地支配」、「痛切な反省」、「こころからのお詫び」が入るかどうかという内外の関心には、なるほど「全部入れました」と答えられるようになっている。 しかし、談話を読めば明らかなように、最初の2つは今後そういうことがあってはならないという文脈での使用である。「侵略しました」、「植民地支配をしました」と言っているわけではない。後の2つは「先の大戦に