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自由と真理のパラドックス
今ごろ気づいたのだが、Dryadさんが言ってること(「「表現の自由」と「言論以外」からヘイトスピーチ問... 今ごろ気づいたのだが、Dryadさんが言ってること(「「表現の自由」と「言論以外」からヘイトスピーチ問題を論じてみる」や「「政治的であること」が圧殺する(かもしれない)もの」)というのは、前に僕がここ(「よし、もう一周。」)で書いたことと、同じようなことなのだった。 これは、左翼の振りかざす「正しさ」が初期オタクカルチャーにとって脅威だったという実感を、僕と(Dryadさんが依拠する)東浩紀氏がたぶん共有している、ということに起因していると思われる(世代的なもんですね)。 でも僕は、Dryadさんと違って「マジョリティの「正義」でマイノリティを圧殺してるだけの結果になりはしないだろうか」とは言わないし言えない。では、それはなぜか。 一つには、僕には“はてなサヨク”がマジョリティーであるとはぜんぜん見えないということがある。一応「サヨク」などと呼ばれているけど、彼らの中で左翼運動に関わってい