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シンガポールのエリートについて - fusshiiの日記(旧アメリカ留学備忘メモ)
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シンガポールのエリートについて - fusshiiの日記(旧アメリカ留学備忘メモ)
大学でシンガポール人の教授の卵としばし議論。いろいろとシンガポールの特殊性に関してこっちがもって... 大学でシンガポール人の教授の卵としばし議論。いろいろとシンガポールの特殊性に関してこっちがもっている仮説をぶつけてそれを検証したかったのだが、少々イメージが異なる部分があって、混乱をもよおした。 日本の一部ではシンガポールの政策を参考にすべき、といった議論がかつてよくなされていた。今でもいる。その多くは、両者の違いを無視した暴論であったりするのだが、確かに、かの国の開発独裁政はいろいろな意味で興味深い。 たとえば、かの国のエリーティズムは徹底されていて、小学校の時点の試験の結果、超エリート、普通のエリート、一般人、それ以外、という感じのコースで子供の教育コースが分けられてしまう。中学では試験の結果、成績順に確か4コースに分けられて、もちろんクラス間の敗者復活戦はあるのだが、大学にいける人間、そうではない人間が決められてしまう。人生の初期で人生のコースが決められてしまう、いわゆる早期選抜