エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント1件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
自由遊戯黙示録 特攻空母ベルーガ:マイコン時代の申し子達
かつてパソコンが、「パソコン」ではなく、「マイコン」と呼ばれていた時代があった。 1970年代末期から... かつてパソコンが、「パソコン」ではなく、「マイコン」と呼ばれていた時代があった。 1970年代末期から1980年代にかけて、日本国内ではNEC社「PC-8000」シリーズや、シャープ社「MZ」「X1」シリーズ、海外ではアップルコンピュータ社「Apple II」、コモドール社「Commodore64」などといった8bitパーソナル・コンピュータが全盛を極めていた。 当時はオペレーティング・システムをはじめとする各種ソフトウェアはまだ広く普及しておらず、コンピュータの利用者はコンピュータに内蔵されたBASICインタプリタを使用し、利用者自身でプログラミングを行わなければならなかった。 そのような状況を支えたのが、各種マイコン雑誌の存在である。 特に代表的な雑誌である『マイコンBASICマガジン』誌においては、ゲームを中心に様々なプログラム・リストが掲載されていた。 読者はリストを自分の手で入力
2008/12/15 リンク