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live memory #6 南海ホークウインド 1985年12月15日 大阪扇町ミュージアム・スクエア
東京ではNHK-TV「インディーズの襲来」が全国放映され私達の周りのバンド連中がにわかに話題を集めてい... 東京ではNHK-TV「インディーズの襲来」が全国放映され私達の周りのバンド連中がにわかに話題を集めていたし、雑誌「宝島」キャプテンレコードが設立され紙媒体と連動して、いかにも若者の「ニューシング」としてインディーズという言葉も一気に認知される事になる1985年。 しかし、本当の「インディーズ」に代表される「ニューシング」は、表層だけの東京勢ではなくて、実はメディアに現れない関西にあった。これは、70年代後半のパンクロックにおけるロンドンとニューヨークに似ている。 「ZOUO」を解体したチェリーと「はなたらし」の破壊行為にいきずまっていた山塚君をツインヴォーカルとして、実にオーソドックスな王道ロックで2人を再生しようと企んだ関西のツワモノ達。 ギターに林直人(アウシュヴィッツ)ししょう(QP BOX)、ベースにエディ(the 原爆オナニーズ)、キーボードは杉作(ほぶらきん)、ドラムにイソベー
2016/03/13 リンク