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live memory #1 はなたらし 1984年 秋 大阪スタジオあひる
今は無きライブハウス、大阪あひるでの「はなたらし」である。 ヤマタカアイが当時は山塚アイと名乗り、... 今は無きライブハウス、大阪あひるでの「はなたらし」である。 ヤマタカアイが当時は山塚アイと名乗り、私への手紙では山塚徹郎とちゃんとしるされていた。大阪の林君(アウシュヴィッツ)から観に来てよと言われ、なにか起きそうな予感がしたのも事実。別になにも起きなくてもいい。そう予感させるだけの何かが充満してればいい。とにかく、信用のおける林君が薦めるバンドである。しかも名前が「はなたらし」である。私は迷わず新幹線ですっとんでいった。 あひるのステージは金属ジャンクが山と積まれて工事現場を越えて、すでにアートなオブジェを見る世界。ドラムに竹谷さんが座り、ギターにはNULLがノイズを撒いていた。山塚君は、ノイズに踊らされるようにジャンクな金属たちと格闘するがごとく暴れ、電動切断機のスイッチを入れ、さらなる気色悪いノイズを発信し、その火花を私は浴びることになる。広角20ミリで目いっぱい近ずいて写真を撮った
2012/12/12 リンク