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朝日新聞グローブ (GLOBE)|Meets Japan―世界と日本を考える ファジル・サイ
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朝日新聞グローブ (GLOBE)|Meets Japan―世界と日本を考える ファジル・サイ
[第11回]音楽のジャンルや国境を越え、クロスオーバーせよ ファジル・サイ Fazil Say ピアニスト、作曲... [第11回]音楽のジャンルや国境を越え、クロスオーバーせよ ファジル・サイ Fazil Say ピアニスト、作曲家 クラシック音楽の演奏から個性がなくなっている。最近では、本来、即興的に独奏される協奏曲のカデンツァも、演奏全体の解釈も、他人まかせになっている。これは間違っている。クラシックのピアニストがいくら技巧的に演奏しても、それだけではまったく興味を感じない。 ファジル・サイ氏=遠藤真梨撮影 ハイドンのピアノ曲は、演奏技術的にはとても簡単で、8歳の子どもでも、何曲かは演奏できる。しかし、内面から演奏するには、とてもたくさんの人生の経験、感情といったものがないと難しい。3、4分で映画のサウンドトラックのように「物語」をつくらないといけない。 自らの「内なる声」を取り出し、楽器に伝えるというのが、作曲でも演奏でも、音楽のとるべき方向なのだ。クラシックのピアニストの大半は今日、そうした方向性