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廃れゆく部屋 伝説の糸崎病院(探索遍)
明治時代も終わりにさしかかる頃、ある男性が福岡県と岡山県を汽車で往来していた。 汽車が広島県糸崎町... 明治時代も終わりにさしかかる頃、ある男性が福岡県と岡山県を汽車で往来していた。 汽車が広島県糸崎町鉢が峰山麓の「六本松」にさしかかった時、 彼の目に芸予諸島の美しい景色が飛び込んできた。 男性はその景色を「世界一美しい眺め」と感嘆し、温暖な気候も決め手となって弟子であった松本和夫氏に 結核療養所を造らせた。 男性の名は「桂田富士郎」。 当時、彼は岡山医学専門学校(現岡山大学医学部)教授と福岡医科大学(現九州大学医学部)教授を兼務し、 「日本住血吸虫」の発見者、および研究者でもあった。 糸崎療養所の跡地に昭和9年に建てられた石碑の一文には、 「(桂田富士郎先生は)糸崎の自然美は実に天下に其比を見ざることを高唱し且つ病者並びに虚弱者の健康創造に向って絶好の 適地たることを力説せられたり而て、門下松本和夫氏を督して鉢が峰山麓を拓いて病院を創建せしめ之を糸崎療病院と名け 自ら指導の任に膺りて大いに
2022/03/20 リンク