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日本では、江戸時代中期一七二六年(亨保一一年)に、松岡恕庵(本草学者)の「用薬須知」に、蝉花(ハ... 日本では、江戸時代中期一七二六年(亨保一一年)に、松岡恕庵(本草学者)の「用薬須知」に、蝉花(ハナゼミタケ)の記事を載せたことがわかっています。その後一七二八年、伊心宜(寧波の船主)が、長崎に中国の冬虫夏草(シナ冬虫夏草)をもたらしました。それから、一七六八年に青木昆陽(蘭学者)が「昆陽漫録補」に、また一八〇〇年には、広川解が「長崎見聞録」に冬虫夏草の記事を載せています。 このほか、かのシーボルトが下関で冬 虫夏草を見たという記録が残っていたり、「本草綱目拾遺」(一八三二年 梢学敏) には「夏草冬虫、四川省江油県の化林坪 に産する。夏は草となり、冬は虫なり」 の記述が残っています。 さらに一八三三 年、小原桃洞は「桃洞遺筆」のなかで「 夏草冬虫浸酒服之可以却病延年」と述べ、冬虫夏草の不老長寿・滋養強壮効果について載せています。 このように、江戸時代から冬虫夏草は歴史の端々に顔をみせてい