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二宮の変について - 孫呉秘書省在建業
知ってる方は知ってると思いますが、私は、いわゆる二宮の変が研究対象として好きです。 ぶっちゃけ、あ... 知ってる方は知ってると思いますが、私は、いわゆる二宮の変が研究対象として好きです。 ぶっちゃけ、あの事件の真相がすべてわかるなら、死んでもかまわないと思ってます。 まあ、歴史的事実のすべてがわかるわけはないので、死にませんが。 さて、ちょっと時間がないので、適当に書きますが、二宮の変については、少し持論を持っています。 それは、二宮の変は今思われているほどの大事件ではなかったのではないか、という物。 たとえば、wikipediaの「群臣たちは真っ二つに割れ、孫和側には陸遜・諸葛恪・吾粲・朱拠・顧譚・滕胤、孫覇側には全・歩騭・孫弘・呂岱・呂拠・楊竺らが付いた」とか、「赤烏9年(246年)9月の人事改変では全が右大司馬、歩隲が丞相になるにおよび、魯王派が主導権を握った」という見方にはかなり懐疑的です。 また、だからといって二宮の変を「皇帝権力と豪族権力の対立」という見方をするのも、どうかと