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石原莞爾はかく語りき -戦後の石原莞爾-
一九四七年(昭和二二年)五月、山形県酒田市の酒田商工会議所で開かれた、極東国際軍事裁判酒田臨時法... 一九四七年(昭和二二年)五月、山形県酒田市の酒田商工会議所で開かれた、極東国際軍事裁判酒田臨時法廷の冒頭において、以下のような会話があったとされている。 『裁判長は、石原に質問した。「訊問の前に何か言うことはないか」 石原は答えた。「ある。不思議にたえないことがある。満州事変の中心はすべて自分である。事変終末の錦州爆撃にしても、軍の満州国立案者にしても皆自分である。それなのに自分を、戦犯として連行しないのは腑に落ちない。」』 (石原莞爾生誕百年祭実行委員会編「永久平和への道 いま、なぜ石原莞爾か」原書房 一九八八年 一八八頁) 石原の「なぜ、自分を戦犯としないのか」のエピソードである。 この酒田臨時法廷でのエピソードは、石原の伝記等によく出てており、よく知られている。 例えば、歴史学者である秦郁彦教授もその著書「昭和史の謎を探る」の中で、『東亜の父 石原莞爾』(高木清寿 錦文書院
2007/03/07 リンク