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高野山ー空海と最澄の断絶
最澄と空海の密教理解の相違 同じ遣唐使の船に乗った最澄の方は、予定通り天台山を訪ね、天台宗を学んだ... 最澄と空海の密教理解の相違 同じ遣唐使の船に乗った最澄の方は、予定通り天台山を訪ね、天台宗を学んだ。帰国に当たって帰国港のある明州に来たとき、出発の船の準備が整っておらず、1ヶ月半待たねばならなかった。この時を利用して最澄は越州の順暁を訪ね、密教を学んだ。このことがあとで大きな事件となるとは、このとき最澄は知る由もなかった。 日本に帰国した最澄は大スポンサーである桓武天皇に報告した所、天皇は天台宗には見向きもせず、最澄が持ち帰った密教に夢中になった。桓武天皇はこの時期、自ら死を命じた同母弟の早良皇太子の祟りに悩まされノイローゼになっており密教のもつ呪術に期待したのである。早速奈良の長老を集め国家に事業として密教の灌頂を行うこととなった。最澄のほうはちょっと時間の合間に仕入れた密教を国家の正式行事とするのだから、当惑したのではなかろうか? しかもこの灌頂のあとで、空海が唐から帰ってきて自