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「山内容堂」
(やまのうち・ようどう 第15代土佐藩藩主。日に二升飲む程の酒好きで自ら「鯨海酔候」とも称 した 182... (やまのうち・ようどう 第15代土佐藩藩主。日に二升飲む程の酒好きで自ら「鯨海酔候」とも称 した 1827-72) 本名:山内豊信(やまのうち・とよしげ) その生涯: 豊信は分家筋の出身であったから、藩主の地位が巡って来る可能性は極めて低かった。と ころが、1848(嘉永元)年、13代藩主・豊熈、14代藩主・豊惇が相次いで急逝したため、藩主の 地位に就くことになった。 豊惇には子がなかったし、後継となる養子の届も出してなかった。 幕府の法に則れば、土佐山内家はよくて国替え、最悪の場合取り潰しである。 これを豊熈の未亡人の実家、薩摩島津家を通じて時の老中、阿部正弘に必死の工作を行な って、豊惇が”まだ生きている”ことにして豊信の藩主就任を認めてもらったのである。もしこれ が半世紀、いや四半世紀前の時代の話であれば、豊信が(坂本龍馬にはかなわないにしろ) 後世に名を残す
2009/12/25 リンク