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さむらいの製造方法
静寂が闇を包み、音もなく降り続いた雪はすっかり背景を白に変えていた。それでも今日は糸魚川に向かわ... 静寂が闇を包み、音もなく降り続いた雪はすっかり背景を白に変えていた。それでも今日は糸魚川に向かわねばならない。 松之山を越えて北国街道を上り、二日後の申の刻には越後の国でも一番西に位置する糸魚川で藩主松平候にお目通りが叶う。家督を相続したばかりの守門村割元庄屋 目黒五郎助が二人のお共とともに出発したのは寛文十三年(1673年)の如月の27日である。 その頃は江戸時代の初期で徳川幕府四代将軍家綱公の時代であった。五郎助は懐に大金八拾両を持って、守門村を出てから約八十里の道程であった。長年の夢であった清酒製造の御墨付きを藩主よりいただき、嬉しさで小躍りする五郎助は帰り路を急いでいた。天空は紺碧に変わり、如月の頃としては珍しい空の色であった。一行は疲れも見せず会津街道を目指していた。この道は越後から会津藩只見町に抜ける今の国道252号線である。五郎助はこの道を誇らしく帰ってきた。あれから何と3
2006/05/05 リンク