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デジタル文具を先取り 「テプラ社長」の成功と挫折 | NIKKEIリスキリング
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デジタル文具を先取り 「テプラ社長」の成功と挫折 | NIKKEIリスキリング
テプラやポメラ、ショットノートなど、独創的な商品を生み出してきた事務用品メーカーのキングジム。厚... テプラやポメラ、ショットノートなど、独創的な商品を生み出してきた事務用品メーカーのキングジム。厚型ファイルに次ぐ収益の柱に育ったデジタル文具の開発をリードしたのは4代目社長の宮本彰氏だ。テプラの成功で社長に就任したが、その後、そのテプラの特許係争で痛手をこうむった。紙やファイルを過去のものとする、文具のデジタル転換期を、キングジムはどうやって乗り越えてきたのか。 会社草創期、発明家社長がエンジンに「子どものころはまさしくここに住んでいました」と本社の床を指し、彰氏は言った。1954年東京都千代田区東神田の生まれ。当時としては珍しい5階建てビルが会社兼自宅だった。 「年末になるとビルの前にワゴンを出して、少々難ありの商品を販売していました。小学生のころはよく、それを手伝っていたんです。率は忘れましたけれど、売った分のいくらかをお小遣いとしてもらえた。そう、完全なる歩合制でした」 彰氏が小学校