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「ヴィエロポーレ、ヴィエロポーレ」タデウシュ・カントル - Credo, quia absurdum.
「ヴィエロポーレ、ヴィエロポーレ」タデウシュ・カントル 1980年作の演劇の上演映像を観る機会を得... 「ヴィエロポーレ、ヴィエロポーレ」タデウシュ・カントル 1980年作の演劇の上演映像を観る機会を得た。 タデウシュ・カントル(1915-1990)はポーランドの前衛演劇家で、1955年に劇団「クリコ2」を結成し、1960年代から世界中で自作を公演している。1982年には来日し、『死の教室』(1975)を利架フェスティバルとパルコ劇場で上演し、各方面に衝撃を持って迎えられた。その模様はNHKでも放映され、それを見た若きmanimaniはTV前で非常に感銘を受けた。 グロテスクで生者とも死者ともつかない人物たちと人形、粗末な家屋を思わせるセット、どこかまがまがしいオブジェ、そしていつ果てるとも知れない動作の繰り返しと不自然にループする音楽、舞台上に不満げに現れては怪しげな手つきで指示を出す演出家自身。 それらはワタシのイメージするヨーロッパの深部にあるくすんだ光と闇を、すぐれて滲み出させた表現
2011/12/28 リンク