エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
桑原三郎 『福沢諭吉の教育観』 - 書籍之海 漂流記
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
桑原三郎 『福沢諭吉の教育観』 - 書籍之海 漂流記
書名は“教育観”となっているが、内容は福沢の思想全般に渉る。表題は収録された論文の中のひとつからつ... 書名は“教育観”となっているが、内容は福沢の思想全般に渉る。表題は収録された論文の中のひとつからつけられたもの。 同じ著者の『福澤諭吉と桃太郎 明治の児童文化』(→今年3月27日。4月10日柳田泉『明治初期の文学思想』上下も参照)でも感じたことだが、桑原氏の福沢に対する見方と評価は、私の福沢観と重なっていて、ほとんど異なるところがない。 福沢の専門研究家である氏は、素人の私などとは異なって、立論にはすべからく福沢の『時事新報』論説を初めとする文章を根拠として引いている。たとえば日清戦争を福沢は決して手放しでは喜んでいなかったことは「戦勝の虚栄誇る可らず」(明治30・1897年)を見ればわかる、「我輩は寧ろ戦勝を後悔する者なり」と福沢は言っているのである、朝鮮を植民地化せよなとどは言っていないのは「日本の資本を朝鮮に移用するも危惧あることなし」(明治16・1883年)で明らかである、まして併