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出来屋重太の話(田熊村直訴事件) - 田熊みうま会 尾道市因島から発信中
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出来屋重太の話(田熊村直訴事件) - 田熊みうま会 尾道市因島から発信中
田熊村を飢餓から救った義人、出来屋重太(できやのじゅうた)のお話。(やや長編) -----------... 田熊村を飢餓から救った義人、出来屋重太(できやのじゅうた)のお話。(やや長編) ------------------ 江戸時代、飢饉が田熊の村を襲いました。窮状をみた広島藩はお助け米(御救米)を庄屋に届けましたが、庄屋がお助け米を出し惜しんで配らないので、村民の窮状はますますひどくなりました。そこで奮起したのが長沢(現在の中区)に住んでいた出来屋重太です。17歳の重太は「よし、ワシが藩に直訴してやる」と決意し、浄土寺の住職に頼んで直訴状をしたためてもらい、田熊の浜(現在の中央区奥浜付近)から、単身船を漕いで出発しました。 驚いたのは庄屋です。なにしろ直訴は重罪です。もちろん庄屋にもお咎めが及びます。庄屋は慌てて重太の船を陸伝いに追いかけました。ようやく追いついたのが村のはずれ(現在の竹長区・因島南インターバス停付近)てした。 庄屋は重太に向かって「おい重太、直訴は重罪なるぞ。思いとどまるな