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岩成達也「ずれる(私的なメモ・その6)」 - 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
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岩成達也「ずれる(私的なメモ・その6)」 - 詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)
岩成達也「ずれる(私的なメモ・その6)」(「現代詩手帖」9月号)。 あの(内的な指)--それはいっ... 岩成達也「ずれる(私的なメモ・その6)」(「現代詩手帖」9月号)。 あの(内的な指)--それはいったい何だったのか 爪も関節もない不具の指 いや おそらくは指でさえなくて 単なる肉(シェール)の小破片 あるいは肉の とある躓きや裂開に似た(もの) 「いや」「あるいは」ということば。そして「おそらく」「とある」「似た」ということば。そうしたことばが作り出す推進力というか、前へ前へとことばを動かしていく力。それを受け止める「もの」というあいまいなことば。岩成にしか具体的に見えない「もの」ということば。(「岩成にしか具体的に感じられない「もの」ということば、と言い換えた方がいいかもしれない。) ここには客観的にというのも奇妙だけれど、あらゆる読者が正確に共有できる「もの」は書かれてはいない。岩成のことばを読むとき、わかるのは、岩成のことばが何かに向けて動いている。そしてその動きは一直線ではない。