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なぜ日本は「生きている気」がしない国になったのか? 内田樹が考える“コロナ後の世界” | 文春オンライン
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なぜ日本は「生きている気」がしない国になったのか? 内田樹が考える“コロナ後の世界” | 文春オンライン
内田 日本の国力が衰微している最大の理由は、多くの人が短期的な自己利益の増大に走って、長期的なタ... 内田 日本の国力が衰微している最大の理由は、多くの人が短期的な自己利益の増大に走って、長期的なタイムスパンの中で、自分と共同体の利益を安定的に確保するためにはどうしたらいいのかを考える習慣を失ったからです。目先の自己利益ばかり考える利己的な人間ばかりになったら、市民社会も国民国家も持ちません。 近代市民社会は、ロックやホッブズやルソーによれば、私権の一部について制限を受け入れ、私有財産の一部を供託して「公共」を立ち上げたことによって成立します。周りの人間をすべて「敵」とみなして、「万人の万人に対する戦い」に心身をすり減らすよりは、短期的には私権の制約、私財の供託を受け入れて、公権力による統治を受け入れた方が長期的には自己利益が多いと人々が判断した。そういう話です。人間は利己的にふるまうはずなので、「短期的な損」を受け入れることで「長期的な得」を取ると考えた。でも、この近代市民社会論では「人