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「価値と・・・」所有
>哲学では所有についての始源的な考察は行われているのでしょうか。 西洋哲学史でなされた功績は、自分... >哲学では所有についての始源的な考察は行われているのでしょうか。 西洋哲学史でなされた功績は、自分とは自分であるか?自分とは自分の所有であるか?という疑問を、社会に提示したことです。考察は行われ、西洋哲学は、独我論に行き着いたのです。独我論が最も論理的でした。ハイデッガーなどは、自己矛盾に陥っていることがわかりながら、本を書いていました。 独我論は、超えれます。 所有できるようなものは何一つありません。 うさぎが草を食べ、鷹がうさぎをさらってしまうけれども、うさぎは草ともろもろでできており、鷹はうさぎと諸々でできています。それは、この世の輪廻として簡潔にわかります。(輪廻を、哲学思想として考えてください) 人間の精神もまた同じです。 言葉にしても、認識にしてもです。最も重要な理解は、自分も自分のものでないという理解です。言語や認識は、発した時点で一人歩きします。それが、あなたの思考の中でも