エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
古文の助動詞「べし」について
この文章は伊勢物語の最後の段にある文章で、次に「つひにゆく道とはかねてききしかど昨日今日とは思は... この文章は伊勢物語の最後の段にある文章で、次に「つひにゆく道とはかねてききしかど昨日今日とは思はざりしを」の和歌が続く短い文です。 助動詞の「べし」は、一人称の意味は「意志」と習いますが、正確には「意志であることが多い」です。他の人称にしても同じで、絶対ではありません。前後の文脈から考えることが大事です。ここでは、昔、男が病気になり、それも和歌に「つひにゆく道」とか、「昨日今日とは思はざりし」とあるので重いと考えられます。それなので「死ぬべく」の「べく」を意志とすると、「死のう・死ぬつもりだ」のように自殺を想像させるような訳になってしまいます。適当であれば「死ぬのがよい」、命令は「死ね・死ねよ」、可能であれば「死ぬことができる」など前後の文と合わなくなります。当然であれば「死ぬはずだ」、推量であれば「死ぬだろう」です。この2つであれば前後の文とも合いそうです。 書店で参考書系統の「伊勢物語