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蓮實重彦について
これ一冊読めば、蓮實重彦がわかる、という本があるなら、私もほしいです(笑)。 ドゥルーズやバルト、... これ一冊読めば、蓮實重彦がわかる、という本があるなら、私もほしいです(笑)。 ドゥルーズやバルト、フーコーの影響を受けたといっても「ネタ元」などという性格とはほど遠いものであるし、ポスト構造主義の流れにいる、と雑に言ってしまっていいのかぁ?という疑問もあります。 それほどまでに、蓮實重彦は蓮實重彦でしかない、際立った存在であると思います。 ご質問の『物語批判序説』、こんなふうに始まりますね。 「それを博学と呼ぶには彼の知識はあまりに貧弱であったし、ましてや言語学的な卓見を誇りうるほど事情に通じていたわけでもないのに、一人の男が、あるとき、不意に辞典の編纂という途方もない計画を思い立ち、知人や親しい仲間たちに向かって、その高層をぽつりぽつりと洩らしはじめる」 この男がギュスターヴ・フローベールであることが明かされるのは、なんと文庫本で23ページ目です。 そうして、なぜそのような書かれ方がなさ