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秀長、生涯たった一度の負け戦…「荒木村重でも別所長治でもない」播磨攻略で豊臣の大軍を蹴散らした城主
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秀長、生涯たった一度の負け戦…「荒木村重でも別所長治でもない」播磨攻略で豊臣の大軍を蹴散らした城主
秀長に特命「兵糧ルートを断て!」 第17回:淡河城(兵庫県神戸市) 秀吉・秀長の豊臣兄弟の生涯におい... 秀長に特命「兵糧ルートを断て!」 第17回:淡河城(兵庫県神戸市) 秀吉・秀長の豊臣兄弟の生涯において、最も苦戦した戦いは? と問われれば、間違いなくそれは「播磨攻め」の三木合戦だろう。なんとか三木城(図表1①兵庫県三木市上の丸5)に籠る別所長治を下したものの、2年にも及ぶ長期籠城戦、荒木村重の謀反、そして竹中半兵衛の死と、払った犠牲も相当のものだった。 三木合戦が長期戦となったのは、城外からの兵糧補給ルートがあったことにある。逆に言うと、それを断つことができたので、ようやく三木城を飢餓状態、俗に言う「三木の干し殺し」に追い詰めることができた。補給ルートは時期により複数あったが、そのひとつが、東に伸びる湯の山街道。現在の三木市エリアとの境界あたりに立つ城が淡河城おうごじょう(図表1②兵庫県神戸市北区淡河町380)だ。

