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人類史とは「感染症パンデミックの歴史」である…カリスマ講師が「コロナ後」の価値観変容を見据える理由 「西欧の近代化」はパンデミックの余波だった
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人類史とは「感染症パンデミックの歴史」である…カリスマ講師が「コロナ後」の価値観変容を見据える理由 「西欧の近代化」はパンデミックの余波だった
ヨーロッパの人口の3分の1を死に追いやった 明けて1348年――『デカメロン』の舞台となったこの年――ペスト... ヨーロッパの人口の3分の1を死に追いやった 明けて1348年――『デカメロン』の舞台となったこの年――ペストはイタリア全土、フランス全土、イギリスからハンガリーまでを席巻し、数百万の人々を斃たおしていきました。当時、イギリスは百年戦争でフランスに侵攻中でしたが、撤収を余儀なくされています。 その後、感染はドイツ諸国やスウェーデンにまで到達し、ヨーロッパの国々の人口の3分の1の人々を壮絶な苦しみを伴う死に追いやったのです。 敵国ジェノヴァの惨状を見たヴェネツィアやラグーザ(現・クロアチアの港町ドゥブロヴニク)は、船の入港を禁じ、港外に錨いかりを下ろして40日間待機させる、という検疫制度を採用しました。「40」を意味するイタリア語(ヴェネツィア方言)から、検疫のことを英語で「クワランティーン(quarantine)」といいます。 検疫によって船内に閉じ込められた人々には悲惨な運命が待っていまし