サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
画力アップ
chroju.hatenablog.jp
一瞬、目を疑うネーミング。本文とは何の関連性もない。 過去形だけど、はてなブログPro(有料プラン)にした。その話を書こう書こうと思いつつ寝かせてしまっていたのだが、今見返してみたら3月にはProにしていた。もう半年前だ。 一番直接の理由としては、 今年1月のヘッダーメニューリニューアル があまり好きじゃなかったので、Proの機能である「ヘッダー無効化」を使いたくなった……というちょっとネガティブなものになるのだが、その前からProにしたいとは思っていた。経緯は 文学フリマ東京37と、本を出すということと、本を出してはいないこと。 というエントリーに書いているが、昨年文学フリマで発刊された、はてなブログの本にエントリーを収録いただき、それからも何度か、はてなブログトップの「おすすめ」に取り上げてもらうことがあって、この1年ぐらいでだいぶ「読者」が増えた。別に多く読まれることを目的に書いてき
人間ドックを例年は秋に受けるところ、年度末のこの時期までうかうかと引き延ばしてしまい、普段利用していた施設は年度内がもう予約でいっぱいで、他を探したところ神保町で空きがあった、という、そんな理由でこの街に脚を運ぶことになるとは思わなかった。一時期神保町は仕事の関係でよく来ていた。最近でも本か食を目当てとして、年に何回かは来る。でも医療目的で来たことはなかった。 神保町駅から地上へと登っていくときに、袴姿の人が前を歩いていた。時期から考えて大学の卒業式だろうか、このあたりだと日本武道館か。でも武道館なら九段下が最寄りのはずで、ちょっと遠くないか。待ち合わせか、食事でも近くでするんだろうか、とかぼんやり考えていたが、地上に至ると交差点の斜向かいにわらわらと人だかりができていて、そういえばこの街にも大学のキャンパスがあったのだと思い出す。その近くにはロイヤルホストがあり、卒業生とその親とだろうか
くどうれいん『わたしを空腹にしないほうがいい』 はエッセイ集だが俳句集でもあった。それぞれのエッセイのタイトルが俳句になっている。そもそもが俳句のウェブマガジン『スピカ』に連載されていたもので、今でも ウェブ上で読むことが出来る。 僕は短歌にも俳句にも馴染んでいなかったのだが、この書に添えられた数々の俳句というものを何の気なしに読んでいくうちに、あれ?もしかして俳句とか短歌っておもしろくない?となってきた。エッセイとセットになっていることで、俳句に親しくなくとも解釈がしやすかった、というのもあるかもしれない。 神に似た笑い声するビアガーデン これとかすごい好き。あとこれも。 そら豆はすこやかな胎児のかたち あまりに知識がなくて、俳句は五七五で、短歌は五七五七七で、ぐらいの印象しかなく、そしてそれは単語や文節の区切りも五!七!五!と分かれるものだとばかり思っていた。昔の有名な俳句、松尾芭蕉と
食をテーマとした1か月の日記、というか、エッセイというか。 最初に出てくる料理が、適当に冷蔵庫にあったクレソンと三色ピーマンと鶏肉を炒めて、バターをたっぷり使ったガーリックライスに添えたものだった。クレソン。たぶんあれのことだよな、たまに外食で食べるあれだよな、と思うが、若干自信がなくてググる。あれのことであっていた。僕は実家を出て15年ほどになる。その間それなりに自炊もしてきたが、冷蔵庫にクレソンが入っていたことがない。買おうと思ったこともない。普段買い物をしているスーパーを思い出してみるが、どこに置いてあるのかもピンとこない。 会食という言葉もあるように、食はパブリックな行為のようにも捉えがちだが、その実とてもプライベートで、個人の生に深く深く根ざしている。僕の生は、冷蔵庫から適当に食材を取り出したときに、クレソンが出てくるようなものではなかった。三色ピーマンさえ危ういかもしれない。ピ
blog.hatenablog.com 文学フリマ東京37に行ってきた。ありがたいことに、当日頒布された「はてなブログの文学フリマ本」に DM250と、書き留めるということと、わかりあえなさと。 を収録いただいており、無事に受け取ることもできた。文フリには2014年からたびたび足を運んでいるけれど、自分の文章が会場で頒布されているというのは初めての経験でとても新鮮だったし、会場で自分の文章が書かれた本を受け取るのはくすぐったい感じもした。 文フリ、はてなブログの本に自分のエントリーを収録いただいていたのをゲットしてきた。ありがとう、はてなブログ。 pic.twitter.com/ISqUR0fOJc— chroju (@chroju) 2023年11月11日 はてなブログが日記祭や文フリに出展する動きはすごくいいな、と感じている。本を出す、そのために1冊分の文章を書く、となるとなかなかハー
gyazo.com ポメラは初代のDM10を買ったことがあり、当時は大学生だったので授業の板書を取るのに使っていた。社会人になってからはPCを持ち歩くことが増えてポメラの出番はなくなり、いつしかプラスチックの経年劣化なのか、DM10はあの特徴的なキーボードが壊れてバラバラになって使えなくなってしまったんだけど、先日14年ぶりにポメラを、最新のDM250を買った。 PCを持ち歩くのがつらくなったというか、「長文を書く」「頭の中がごちゃごちゃしているのでとりあえずテキストで書き出してみる」という用途に、PCが重すぎたという理由に尽きる。考え事が頭の中でまとまらないときがよくある。忙しくて物事の優先順位がわからなくなることもある。そういうときにとりあえずPCを持ってコーヒーを飲みに行き、1時間ぐらいでダダダッと脳の中を書き出して整理するのだが、そのためだけに1kgちょっとの端末は重いし、いつでも
13年選手です。 「ほかいま」という単語はもうほぼ死語だと思うが、初期のTwitterの空気感をよく表している気がして。今でも使われているかもしれないが。一応意味を説明しておくと「ほかほか」と「ただいま」のかばん語であり、風呂から上がったことをツイートするときに使われていた。風呂に入ってからもう一度TLに現れることは「ただいま」なのよね、というのと、ほんの30分か1時間そこらの時間、TLから離れて戻ってきたことをわざわざ報告するんだな、というのと。 自分もそうだったが、家にいるときはPCをほぼ付けっぱなしにして常にネットと繋がっているような人々がいた。スマホが全盛期を迎える前の時代。スマホで簡単にネットに繋がれるようになって、そういう人の割合は減ったような気はする。わからんが。で、そういう人たちにとってTwitterは相性が良すぎて、PCを開いているときは常にサードパーティのクライアントソ
スタァライト、されちゃいました。 キービジュアルを見て、何か惹かれるものがある作品だなと思っていた。聴けば監督は古川知宏で、ということは幾原邦彦の系譜なわけで、言われてみれば騎士風の衣装に剣を持った少女たち、意味がわかるようでわからないような「アタシ再生産」というデカデカとしたゴシック体は、イクニイズムを感じるところがある。そして実際にアニメを見てわかったのは、そういう表層的なビジュアル面と演出にとどまらず、抽象的な内面世界の描写が、具体的な現実へと影響を及ぼしていく作品構成などに至るまで、きちっと幾原作品を踏襲しながらも、よりわかりやすく、ケレン味は磨きをかけた、古川氏ならではの作風として完成していたこと。時に難解過ぎると感じるときすらある幾原作品に比べると、比較的読み解くことは難しくなく、シンプルに映像的な面白さも追求しているあたりが、古川作品としての持ち味なのかもしれない。 そういう
ネタバレを含みます。 『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』という文字列をどう書けばいいのかどうにも悩む。実際に使われているのは五線譜の反復記号で、これには Unicode も割り当てられているので、今回それを使ってみた。が、どうにも見栄えがよくない。実際のロゴのように見せるには『シン・エヴァンゲリオン劇場版 :||』というようにバーティカルバーとコロンを使ったほうがいい。だが、これでは線の太さが再現できない。「:|❙」のほうがいいか。今度は長さがダメか。まぁ面倒くさいので以下、「シンエヴァ」と書く。 二度の上映日延期となった折、数は少ないものの、「また延期か」「知ってた」「まだ出来てないんじゃないか」といった声を目にすることがあって、軽口だったのかもしれないが、それがわりと不快だった。旧劇場版での顛末があったので仕方ないことなのかもしれないが、しかし新劇場版については、上映期日が決まってか
いわゆる「メジャーになったアーティストに対して、『メジャーデビュー前はよかった』と回想する行為」はあまり行儀が良いとは思わないのだが、新海誠監督については、今をもってなお、彼がド・メジャーな映画監督になったという事実に慣れない。別に全然嫌ではないし、以前同様に好きな監督の1人では在り続けているんだけど、『君の名は。』を契機に一体何が起きたんだろうという、昨年「新海ファン」の誰もが抱いたであろう疑問にケリをつけられないまま1年以上が経過している。 なので国立新美術館の10周年企画の1つとして、安藤忠雄というビッグネームと並んで「新海誠展」が開催されているという現実を目の当たりにしても、なんだか落ち着かなかった。平日に行ったので行列にこそなっていなかったが、やはり館内は『君の名は。』以後の「一般的知名度が高くなった新海誠」を思わる盛況ぶりだった。いかにも美術館巡りが好きそうな老夫婦やベビーカー
金沢21世紀美術館に初音ミクの細胞が展示されると言うので見てきた。詳細はこちら。 自分もあまり前知識を入れずに見に行ったので、細胞と言ってもまぁイミテーション的な何かであろうと考えていたのだが、実際そこにあったのは律動する心筋細胞であった。初音ミクの身体的特徴を組み込み、さらにウェブ上で「二次創作」したDNAをiPS細胞に組み込み、実際に細胞を作成したということらしい。バイオテクノロジーに関しては学がないので、こんなことができるのかということにまず驚いた。 感想に関してはすでにTwitterで連投させてもらったし、先のcinraの記事を今読み返していると、なんとなく着目点は似たようなところだったかなと思う。 @chroju 無生物にDNAを与えるというテーマにおいて、初音ミクを選んだ点が象徴的であって、例えばミッキーマウスであれば世界中のパークで常に一体しか表に出ないって話があるように、唯
屍者の帝国、TOHOシネマズ川崎の舞台挨拶回で見てきました。原作既読なので当然のごとくネタバレ満載で書く。原作も映画版もネタバレする。ネタバレなしで言うと、 原作既読者 => 一度見といて損はないと思う 原作未読者 => 一度見といて損はないと思う という感じで(適当)。まぁ実際のところアニメーションとしてよくできているし、架空19世紀末のスチームパンクともサイバーパンクとも言い難い独特の世界観は好きな方多いと思います。自分もこの小説の世界観は是非とも映像で堪能してみたいなぁと思ってたので、三部作の中でも一番楽しみでした。なおこの後の文章、書いてから読み直したらだいぶ熱っぽくなっててあれな感じです。結論からいうと表題通り違和感があったのだけど、舞台挨拶で直接お話を聴ける機会があって、それについては氷解しましたという話。舞台挨拶はもう聞けないので、代替としてパンフ買うことススメます。作中では
真剣に見た末に肩透かしを食らってしまったアニメが若干あり、来期は何も考えなくて良いようなアニメをいろいろ見たい所存(白目) SHIROBAKO もう今季はこれがすべてってことでいいんでは。突出した面白さがあったわけではないのだけど、アニメ業界のあらゆる側面を描きながら、きちんとドラマも毎回盛り込み、パロディネタも忍ばせるという安定したハイクオリティっぷりが良かったですね。 アニメを作る、という知っていたようで知らない仕事の実情を描き出しているという面もあるけれど、一方でいつの間にかシリーズ化していた「働く女の子」を平然と描いている面もあり。任せた仕事が期日に一定の質で上がってこないだとか、モチベーションの低い職場の同僚、キーパーソンの転職、きちんとレビュー対応してくれない顧客なんてのは、わりとSEとしては共感できなくもなくて若干胃が痛かったりもして。。。これだけ多くのキャラクターを動かしな
自炊系マンガ。自炊するマンガです。マンガの自炊じゃなくて。ScanSnapじゃなくて。 甘々と稲妻(1) (アフタヌーンKC)posted with amazlet at 14.06.11雨隠 ギド 講談社 (2013-09-06) Amazon.co.jpで詳細を見る 『甘々と稲妻』読みました。これはもう読んだらハマっちまうだろうなという予感のある設定(料理×女子高生×子ども)と絵柄だったんで、逆に遠ざけて読まないようにしてたんだけど、ついに誘惑に抗いきれなかった。そしてまぁ、見事にハマったというか、あーいいなこれはという感じになってしまって。最近どうもこう、素朴に日常を生きるようなマンガに弱いッス。働き始めたからなのかなぁ、なんかそういうのがすごい尊く思えるようになってしまった。 グルメマンガは世の中に数あれど、特に好きなのは「自炊」系だったりする。料理人が奇想天外なレシピであっと驚く
アニメキャラの私服のどこが問題かという具体的な指摘 - Togetterまとめ 「具体的な指摘」というまとめだけど、結局言ってることって「○○はダサい」ってのがほとんどであって、なんでそれがダサいのかよくわからんという。花陽のニットの柄がダサいのはわかったけど、じゃあどんな感じだったらいいの?とか。まぁTwitterだから長文書けないから仕方ないのかもしんないけど。 ファッションってダサいとか「しまむらっぽい」とか抽象的な表現になりがちで、ぶっちゃけ聞いててよくわかんないッス。実際はもう少し理詰めで語れるはずだと思うんだけどね。考慮すべき要素はこれとこれとこれがあって、ここがこうなるとダサいんだけどこうなるとほら違うでしょ?みたいなさ。デザイナーの悪意感じるって言われてもなんだよ悪意ってわかんねーよっていう。 ファッションは自分自身を着飾ることだから、「ダサい」って言われると自分そのものが
亡くなった永井さんの代役となる、新たな波平役が茶風林さんに決まったとか。茶風林さんって永井さんみたいな「おじいちゃん」声ではないけれど、考えてみれば波平って(あの頭で)定年前のサラリーマンなんだし、ここらでキャストの若返りってのはいいんじゃないかなーと思う。声優の交代劇って毎度物議を醸すものではあるが、TL見た限りではそんなに反感もなさそうで。まあ、茶風林さんにかかるプレッシャーって相当なものだと思うけど。 アニメキャラクターというのは絵と声により形作られるので、声優の交代に対する違和感はかなり強い。それでも中の人が物故されたり、いろいろな理由で「声優の交代」は起こりうる。そのたびに思うのだけど、旧「中の人」に似た演技をする人と、イチから自分が思い描くキャラクター像を新たに演じる人と、2パターンの交代があるような気がしている。 前者で真っ先に浮かぶのがルパン三世。自分はこの交代劇の頃にはま
モバマスはね、わりと冷めた目で見てたんですよ。バッカじゃねーのって言ったら言い過ぎだけど、要は絵じゃないですか、アレ。で、ゲームの中で頑張らなきゃ見つからないんならまだしも、2chまとめサイトとかTumblrとかでじゃんじゃん流れてるわけじゃない。だから頑張って課金しなくても(著作権的な話を別にすれば)簡単に手に入るわけだし、そんなもんになんで金と時間かけるんだろうなーってのは率直に言って不思議だった。 ただ、可愛い女の子とか好きなキャラ出ねーかなーと思ってランダムで絵を吐き出してくれるマシンを回し続けるってのはわりと理解できて。というのも自分はTumblrをやってるから、まぁモバマスと似たようなことをしていることになる。Tumblrって要するに「無料で無限に回せるガチャ」なわけで。暇な時なら1時間とか回しちゃったりしますものね。もっと良い眼鏡っ子がもう一つ先のポストにいるかもしれない、い
すげーよかった。 去年放送したアニメ『TARI TARI』の劇中歌を、Twitterを通じて集まった有志の合唱団が「白浜坂高校合唱同好会」として歌うという企画。3月に話には聞いていて、あわよくば参加したいぐらいの気持ちだったんだけど、残念ながら仕事の都合で練習に行けそうもなく。なのでせめて本番だけでも聴いてみようと、東京都合唱祭に行ってきました。 はじめに言っておくと、合唱祭ってそんなメジャーなイベントじゃないです。どころかドマイナーだと思います。コンクールのように成績をつけられるイベントではないので、夏の全国コンクールや演奏会の前哨戦程度に位置づけている合唱団も少なくないかと(経験談)。ただ、合唱連盟非加盟団体でも参加できるという緩い参加条件のため、おっそろしい数の合唱団が歌いに来ます。今回の東京都合唱祭だと200団体が歌うんだとか。要は合唱好きが歌いに来て、合唱好きが聴きに来るイベント
世界初のVOCALOIDオペラこと『THE END』観てきたので感想をば。といってもオペラ見た経験ないし、元々行くつもりなかったところをたまたまチケット入手して行った感じですので、あまり語れる内容もないです。ストーリー上のネタバレは一応なし。 全体を通じてはオペラ見たってより、「どでかいホールで椅子に縛り付けられた状態でやるクラブイベント」という感じだった。音響すげー。光すんげー。てかチカチカ目がいてー。情報量すんげー。うががが。終わった頃には脳が乾ききってた。 でも音も映像も良かったですよ。もう単なる電子音好きになってきている気もするが。 ストーリーは難解だという話もあったけど、そこまで理解しづらい内容でもない。これまでの初音ミク論壇()的なものを追ってきた人であればむしろ馴染み深いテーマ。最終的に彼女が至った結論に、俺はわりと賛成できる。全体を通しては好きです、この作品。 しかしまぁや
ボーマスは行ける。文フリも行ける。コミケも行ける。が、超会議は勇気が要る。このどうしようもない断絶について。 ボーマスは何度か行っている。初めて行ったのはボーマス9で、初めて買ったCDはElektlyzeの「Piece of Cipher」だった。今回はその再編集版にあたる「Piece of Cipher +」が出るという話だったし、他にもいくつか欲しいCDもあったのだけど、「超」ボーマスとなるとなんとなく近寄り難いと思ってしまう。というより、超会議に行こうという思いがあんまりない。 はてブ上ではありゃオタクではなく、もはや(おそらくは広義の)ヤンキーの集まりなのだとかってコメを目にした。タイミングの悪い例の歌い手の事件もあってか、Twitter上では下品な別名で囃されたりもしていて、まぁいろいろと言われているのだが、僕自身はそこまで毛嫌いしているというわけでもない(そもそも、他のクラスタ
以前からbot作ってみたい!と思っていましたが、ようやく本当に作りました。といってもイチからプログラムを組んだわけではないので、あまり褒められたものでもないのですが。botの用途は完全に自分用です。なので今のところprotectedで運用。「反復学習を自動化したい」という思いがあり、Tumblrやはてブの過去ログを自動でポストするbotを作ってみました。 使わせていただいたのは主に以下のツール。 Easybotter(EasyBotter - プログラミングができなくても作れるTwitter botの作り方より) Pipes: 全自動はてブ棚卸し Google FeedBurner GAE-Cron Club 1はphaさんが配布している「プログラミングができなくてもTwitter botが作れる」ツールです。中身はPHPで書かれていて、今回はこちらをちょこちょこと改造して使わせてもらいま
たまたまランキング1位の動画を見てみたらすさまじかった。いや、いい意味で。 ボカロ曲って大別すると「VOCALOIDとしてのキャラソン(ex:ハジメテノオト)」と「全然ボカロ関係ない曲を歌わせてるもの(ex:メルト)」になると思うんだけど、仮に後者の曲でもPVにはミクやGUMIがいたのよね。大体の場合。そこではミクは単なる人間の女の子だったり、会社帰りのサラリーマンだったり、架空世界で戦う主人公だったり、まぁいろいろな役割を負わされてはいても、とりあえずミクはミクだったわけで。そうとも言い切れないのかな。いやでも少なくとも今まではそういう動画が多かったと思う。 でももうこの動画の中にVOCALOIDはいないわけで。いないんですよ、どこにも。PVとして繰り広げられている学園物語はVOCALOIDが関係ないものだし、ボカロが扮したキャラも登場しない。この曲はGUMIを使ってるわけだけど、解釈の
以下、ネタバレしかない。 ネタバレは極力避けたくて、昨日の金曜ロードショーでの冒頭部分放送すら見ずに迎えた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』初日。池袋のHUMAXで10:30回を見てきました。初回の8:00に間に合う気がしなくてね。結果としては、わりと混雑を避けられて良かったかなと。開始1時間前に行ったら物販すげーガラ空きでした。バルト9とか行こうと思ってる人は、4駅足を伸ばして池袋の方がいいかもよ。まぁバルト9の設備が好きだって言うなら停めないけど。 しかし、冒頭6分は見とかないで正解だった気が。初っ端から『トップをねらえ!3』宇宙での戦闘シーンの上、アスカとマリの共闘とか劇場でいきなり見るからこそのインパクトってもんでしょう。あれなんで先行公開したんだろ……。やっぱ上げて落とすためかな。しかしマリがガンガン出てくるようになったのはいいけど、アスカのバックアップ的な役目しか負わないってのは
長かった。こんなひでー端末を1年半も使ってたとか我ながら信じられん。今週末にAndroid買い替えてようやくおさらばできる、REGZA PhoneことT-01C。たぶん先にも後にもこれほど評判の悪いAndroidは他に出ないんじゃないかと思う。もはやコピペですからね。「アアアッ」っていうだけでREGZA Phoneだとわかるという。今ググってみたらミクさんオリジナル曲まで作られてましたよ。ビックリだよ、なんだよこれ。 あとIMEのSimejiでも「あああっ」で「REGZA Phone」って変換できるようになるらしい。さすがに笑えねーわ。 T-01Cとはなんだったのか。マジレスすると、いわゆるガラスマの第一弾リリースにあたる端末です。ワンセグ、赤外線、Felica辺りの「ガラパゴス機能」を積んだ初めてのAndroidがauのIS03で、コイツの発売が一昨年の11月だったわけですが、その翌月に
DIVA fを発売日に買ってから約1カ月、音ゲーほぼ未経験の僕でもなんとかハードまで全曲クリアし、エクストリームも鬼畜難易度の曲を残すだけといったところまで進めることができた。最近ではもうネガポジコンティニューズあたりのエクストリーム攻略は諦めつつあって、ひたすらに「この曲ではどのモデルにメガネをかけると可愛いか」という研究に精を出している。個人的には『キャットフード』にミクのソリチュードでフチなしメガネかけさせるのがかなり好き。脚が!太ももが!! んで、さらにはもう完全に自分好みのMVを作れるエディットモードがあるってことで、試しに手を出してみたりもしたのだが。これがまー…難しいというか、途方も無く時間がかかることを知る。3分半ぐらいの曲で口パクを作るだけでも2時間半をかけてしまい、完成するにはおそらく半月は必要だろうと思う次第。DIVAのエディットは予め用意されたモーションをタイムライ
(追記 8/1) 米欄に「リンク貼らせてもらいます!」っていう書き込みが多いので不安になってきました。まず断っておくと、僕は著作権の専門家でもなんでもない、ただのボカロが好きなサラリーマンです。 僕がこの記事で言いたかったことの一つに、「著作権について正しく理解するって難しいよね」ってことがあります。著作権って難しいんです。大人でも。だから、真実っぽい主張がどこかにあると、みんなそれを信じちゃうことが多いんじゃないかと思います。今回の「ACTA騒動」は、そうして信じられた「真実っぽい主張」が実は間違っていたことが大元の原因になっています。 この記事についても同じことが言えて、僕はわかりやすく本当のことを書いたつもりですが、それでも間違いがある可能性はゼロではありません。なので、これだけが真相なんだと信じ込まないでほしいと思ってます。もちろん、この記事を信じるなと言っているわけではないです。
漁らなくなったと今更書いてるが、もう1年ぐらいは熱心な新曲漁りはやらなくなった気がする。もう好きなPが固定化されてしまったというべきなのか、基本的には一部PのマイリストをRSSでチェックして、新曲はTLに流れてきたのを適度に拾うような、そういう視聴スタイルが最近の常だった。 別にこういうスタイルを選んだことに理由はないというか、普通の音楽の聴き方と同じ聴き方になったのだと思う。商業音楽の場合も同じように、好きな人は定期的におっかけてる一方、たまにどこかで仕入れた情報を元に、未知の音楽に手を出している。で、チャートとかはあまり見ていないので、最近の流行とかにはとことん弱い。ボカロについてももう、「千本桜」を一回も聞いたことがないとかそういうレベルに至っている。 多分もうこのスタイルが崩れることはないだろうなーとなんとなく思ってたんだけど、最近ちょっと変化が起きた。というのも、Nsenを聴き始
マジでか……。 picplz愛好者としてはマジで泣く。いや最初はAndroid持ち始めたとき、単純にInstagramライクなサービス探してて行き着いたっていうだけの理由で使っていたんだけど、それは確かなんだけど、Android版Instagramも試した今なら言える。僕はInstagramよりpicplzの方が好きでした。 だってInstagramってさー、スマートフォンからというかiPhoneアプリから使う前提で作られてるじゃん、アレ。YorufukurouからInstagramのURLクリックしてブラウザで開いてみても、そのページにハイパーリンクとか1つもないじゃん。「あ、この人の写真いいな」って思っても、過去ログずらずら追ったりとかそういうのPCから出来ないし、PCからログインしてみても自分の登録情報を編集できるぐらいで上げた写真消したりとかできないし、アプリからストリーム追う以外
ブログのデザイン変えました。前のに飽きたので。 自分の生活にちょいと余裕ができた時にブログをランダムに読み返して見ることがあるのですが、これが結構面白いのですよね。もうこのブログを始めて3年ちょっとになるわけで、始めた頃に比べて心境の変化やら環境の変化やらいろいろもろもろブログから滲み出ています。一方で「ああ!こういうこと最近でもよく考えるなあ!」ということを何年も前に認めているのを見つけて、昔の自分に深く共感するという妙な経験をすることもあります。 性格とか価値観って個々人に固有のもののように思えますが、その実長い年月の中で微妙にたゆたっているものでもあり。その辺りの「誤差」をブログは絶妙に覚えてくれているものだなぁ、と。今の自分が疑問に思っていることの答えを昔の自分が持っていたり、昔の自分が投げかけた問いを今の自分がキャッチしてみたり。不確かで、目には見えない「自己像」というものを保存
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『the world was not enough』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く