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米兵に体を売る「パンパン」を笠置シヅ子は差別しなかった…夜の街に立つ娼婦とも友人づきあいをした情の深さ 乳飲み子を抱えて奮闘する未亡人の笠置は街娼たちの希望だった
戦後、笠置シヅ子はシングルマザーとなって育児に芸能活動に奮闘。1947年に発表した「東京ブギウギ」が... 戦後、笠置シヅ子はシングルマザーとなって育児に芸能活動に奮闘。1947年に発表した「東京ブギウギ」が大ヒットして国民的スターとなった。笠置の評伝を書いた砂古口早苗さんは「笠置のファンは“夜の女たち”と呼ばれた街娼にも多かった。彼女たちは日劇に通って笠置のステージに熱狂し、ファンクラブにも入って笠置と直に交流していた」という――。 ※本稿は、砂古口早苗『ブギの女王・笠置シヅ子』(現代書館)の一部を再編集したものです。 80年前、終戦直後の東京では毎日餓死者が出ていた 敗戦の荒廃の中で人々は日々一刻、すさまじい飢えと格闘した。1945年末に渋沢敬三大蔵大臣が「来年は1000万人の国民が餓死するかもしれない」と発表する。ぎょっとするような発言だが、上野駅地下道には毎日餓死者があふれ、大阪だけでも1カ月に70人の餓死者が出たというから、大臣の発言はさほど大袈裟おおげさではなかった。 46年12月、
2024/01/07 リンク