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再起不能と心配された美空ひばりが復帰作「みだれ髪」のレコーディングで見せた女王の矜持
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再起不能と心配された美空ひばりが復帰作「みだれ髪」のレコーディングで見せた女王の矜持
1987年3月のはじめ、作詞家の星野哲郎は常磐線の特急「ひたち3号」に乗って、福島県いわき市にある塩屋... 1987年3月のはじめ、作詞家の星野哲郎は常磐線の特急「ひたち3号」に乗って、福島県いわき市にある塩屋岬へ向かった。 長期入院を余儀なくされていたひばりが退院して、病からの復帰第一作となる新作をコロムビア・レコードから頼まれたからだ。 前の年に病に倒れて危機にあった美空ひばりの復帰作をつくるに当たって、作詞を星野に、作曲を船村徹に依頼したのは、コロムビアで長くディレクターを担当していた森啓である。 星野が森から言われたのは、福島県の塩屋埼あたりを見に行ってくれませんか、ということだった。 「どういう詞を僕らが欲しがっているのかも含めて、いろいろ感じてもらえると思うんですが‥‥‥」 森がそのときに心の奥で思っていたのは、「ひばりさんは、ファンにとってもそうだが、歌手たちにとっても目標、つまり”燈台”なんだ」ということだった。だからそんな思いを、そのまま歌にしてほしかったのである。 だが朝一番