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「教えることと精神分析」Paul Verhaegheーーラカンの四つのディスクール論
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「教えることと精神分析」Paul Verhaegheーーラカンの四つのディスクール論
“Is Psychoanalysis Teachable?” Annual conference of The College of Psychoanalysts. London, 12th F... “Is Psychoanalysis Teachable?” Annual conference of The College of Psychoanalysts. London, 12th February 2011における「Teaching and Psychoanalysis: A necessary impossibility.」 Paul Verhaeghe)の全私訳。 かなり以前、冒頭の三分の一強を訳したことがあるが(参照:フロイトの「主人の言説」からの転回)、その箇所もいくらか訳語変更をしつつここに掲げる。 ヴェルハーゲによるラカンの「四つの言説」理論解説とでもいうべきものだが、ラカンの「四つの言説」理論は、精神分析臨床に直接関わらない一般人でも(わたくしのような)、それが社会的絆(あるいはラカン曰くは政治)にかかわるものであるため、フロイトの『集団心理学と自我の分析』ととも