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羊水をとおしての刻印
最も肝要なのは羊水である。あれこそ原対象a、つまり原初に喪われた対象(モノ)である。《(フロイトに... 最も肝要なのは羊水である。あれこそ原対象a、つまり原初に喪われた対象(モノ)である。《(フロイトによる)モノ、それは母である。das Ding, qui est la mère》( S7 1959)であり、《モノは無物とのみ書きうる la chose ne puisse s'écrire que « l'achose »》(ラカン、S18、 1971)。 すなわちモノが母なる引力としての無=ブラックホール(参照)だというのは羊水の引力という意味であり、ラカンによる「享楽の空胞 vacuole de la jouissance」とはこの文脈で捉えなければならない(参照)。 そもそも作家や詩人たちによって語られる海とは、おそらく多くの方々がすくなくとも無意識的には気づいているように、母なる羊水の隠喩にほかならない。 僕は海にむかって歩いている。僕自身の中の海にむかって歩いている。(中上健次